ブログを引っ越します。
新しいブログは
です!
どうぞ宜しくお願い致します。
ゲーム画面に向かって右手をかざしヒーリングしている野郎がいる。
アドラー心理学が強烈過ぎて、もはやここまできてしまったかという感が否めない・・・。
「そんなお前を撮ってやる」
と友人が野郎を激写。
このゲームはコナミの「DanceEvolution ARCADE」。http://p.eagate.573.jp/game/danceevolution/ac/p/index.html
プレイヤーの動きを高性能センサーカメラで感知して、画面上で踊るキャラとプレイヤーの動きがピッタリシンクロすればOKというゲーム。
キャラの動きとリアル人間の動きが合えばクリア。
脳に存在するモノマネ神経ミラーニューロン大活躍のゲームだ。
ていうかこのゲームとても恥ずかしいっっ!!
画面で展開されるアイドルみたいなダンスなんて武士には、武士にはできんッッ!あんな可愛いくてキュートなモーション武士には!AKB48とは一回位踊って見たらさぞ楽しいだろうな~とは思うけれど・・・!てか武士という職業じゃないし恥ずかしがっても誰もてめえの恥なんて気にしちゃいないのだけど。なんか後ろで観てる人沢山いるし。
ボタンなんか無く、全てを身体能力に依存するゲームなんて酷すぎる!!
だけど頑張って尻だけは振ってみた。後は直立不動でまるで古の宗教絵画のように手をかざしたまま。
途中でこのゲーム、指示された場所に手をかざせばいいんじゃね?ということに気づきダンスせんでもそれなりに得点が入るというプレイヤー側に権力のあるシステムを発見した。これぞ本当のロイヤル・タッチ?
点数とクリアするだけだったらゲームの意味がないし、つまらん。興冷めだ。
ダンスしよう。誰も気にしちゃいない。尻だけは振れ。
突っ立ったまま手だけを挙げて無傷なんてそれこそ恥さらしの極み。
踊らされても尻だけは振ってやろうじゃないか。
私の後に超絶スゴ技の持ち主がプレーしていた。あなた一体何回このゲーセンきてんの?完全にキャラとシンクロ率400%超えしている。
彼を覚者というのだろうか!?
「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」(岸見一郎・古賀史健/ダイヤモンド社)
を読んでみた。なんだか売れてるようだ。
売れてるようだから一回読んでみよう、そんな軽薄な気持ちから読んでみた。
本当の自由や幸せなどといった人類古来からのテーマには大いに関心のある一人だ。
「嫌われる勇気」が本当に嫌われていたら、この本を手に取ることは決してなかったであろう。私は売り手の意図にしてやられたのだ。
それでもよかった。この本は面白かった。
「嫌われる勇気」は「アドラー心理学」という学問をベースにしていて、謎の哲人と悩める青年との対話形式で「アドラー心理学」を紹介していく形式になっている。
哲人がボケて、青年がツッコむというカタチだ。
いや哲人がツッコミで青年がボケなのか・・・まあどっちでもいいけどこの本はお笑いの本ではない!
「アドラー心理学」はフロイトやユングに比べると認知度が高くないという。それは「アドラー心理学」がボケすぎていて理解し辛いからだと。
だからこそツッコミどころ満載で、魅力的なのだという。
ええ!?と思う箇所も沢山あるが、そのええまじで!?と思ったその部分に現状打破のヒントがあるのだ。
そうだよね~と一々納得ずくだったら、とっくにヒトは変わってるだろうしね。
たとえば筋力を現状よりもアップしたければ、身体の細胞にとってええまじで!?と感じる位の負荷をかけなければ変わらないように。
一番良い方法と、一番楽な方法は、違う。
「アドラー心理学」は当たり前だが不幸を教えるものではなく、どうしたら幸せになれるかを教えるためのもの。
それには「勇気」が必要だと。他者の承認など必要なく、自己受容していきなさいと垂れる。
他者からのいいね!はいらない。全くいらん。それを求める行為は自分しか関心のない単なる自己中だから。ただ深く自分を見つめ、自立する。それでこそ本当の自由は獲得でき、そのように自立した人間が増えるからこそ、真の意味で他者を認める事ができ、自分も社会も幸せになっていくのだ、と垂れる。
なんだか”無為自然”を垂れる老子みたいな東洋哲学にも通ずるのかな~とも感じた。無論私は老子力学(勝手にそう呼んでいる)を体得しているわけではない。ていうか老子力学は死ぬまで完成しないらしいじゃないの!それを”大器晩成”とよぶらしい。
「アドラー心理学」も理解するのに生きてきた年数の半分はかかるらしくて、これをもし80歳の高齢者が読んだらどう思うのだろうか?と自己中的に心配してしまった。まあヒト科の動物人間の寿命は120年が真なのらしいけれど・・・。理解するのに膨大な年数がかかるってところが剣術か!?とツッコミたくなるが、アドラーはツッコミではなく、大いなるボケをかませ!と提案する。
常識へのアンチテーゼ。
普通であることを最上とし、いま・ここに生き、意味なき人生に意味を与えよ。
そして縦ではなく横の繋がり。人を対等に扱え。自らを認めたように。
それができるのは自分しかいない。嘘の人生を歩むな・・・。
皆同じ生活パターンで、皆同じ身体の使い方をしていたら、皆同じ思考パターンになってしまうだろう。脳は筋肉に、筋肉は脳に影響を与えている。行動様式は伝染する・・・。
その並列化された中で、自由を獲得しようとしたら、ウザがられるだろうし、嫌われるだろう。それでもいいのだ。嫌われる人間は真の意味で他者を理解し貢献することができるのだから。
そうだ。私ももっと嫌煙家に嫌われよう!
健康なき健康。バラバラになった心と身体を取り戻すにはこの領域にいく勇気が必要だ。