お疲れ様です!!
ゲームミュージックDJ 200Gavasです☆
今までの移植はある程度の劣化が当たり前
ファイナルファイトにガイがいなかったり
面数が少なくなるなんてのは仕方が無かった
しかし、凄い次世代機が次々と登場
プレステ派、サターン派という言葉も現われ
家庭用ゲーム機はCDロムが当たり前
このサターンとプレステは
80年代からゲームをしてきた人間には
まさに衝撃!!
なんてったって、ゲーセンクオリティを
そのまま家庭で遊べるようになったんですから
上記のゲーム機は94年に登場
サターンはセガ、プレステはソニー
そう...今まで家庭用ゲーム機の帝王の名を
欲しいままにしてきた
あのメーカーのゲーム機ではなかったんです
そして96年
満を持して登場したのが
NINTENDO64
1996年、任天堂から発売
本格的に3Dゲームに対応し
次世代ゲーム機と言われてた中では
群を抜いて高性能だった
他のハードと違いこの64は
従来のロムカセットを採用
しかし....
ここからは当時の僕の感想です
遅い...あまりにも遅かった
すでに市場はプレステとサターンに2極化
後発の64が割って入る隙間はほとんど無かった
そして、なんといっても
ソフトがあまりにも少ない
はたから見てて、最も大打撃だったのは
RPGのお化けソフト
「ファイナルファンタジー」シリーズが
容量の関係でかプレステに移行
「ドラゴンクエスト」も販売台数を理由に
プレステに移行してしまった
自社ブランドゲームがなかった
プレステの戦略の結果らしいのですけど
ゲーム開発に必要な機材を
かなり安価でゲーム会社に提供した
カセットであったことも問題
コストのかからないCDのほうが開発はしやすい
任天堂自体もこの頃はサードパーティーを絞り込んでたらしいので
任天堂のサードパーティーがかなり離脱したんです
価格面でも大誤算
サターンが\44,800
プレステが\39,800で発売開始
64は\25,000で発売を開始したんですが
この頃にはサターン、プレステも値下げ
サターン\20,000、プレステ\19,800になっていた
日本では結局、巻き返しはできず
販売されたソフトはわずか208本...
しかし北米では人気があったようで
ビジネス的には失敗してないのだとか
されど、現在に至る功績は大きく
このハードで初めて「大乱闘スマッシュブラザーズ」が作られたし
「どうぶつの森」なんかもこのハードでした
僕は去年まで
このハードは触ったことがありませんでしたが
友人が梅田に出した店に64が置いてあり
子供を連れて行ってたんで
子供と一緒に初めて遊ぶことができました
遊んだゲームはもちろん
「大乱闘スマッシュブラザーズ」
まぁボコボコにされましたけどね(笑)
最後まで読んでいただき、あざっす!!