審判がマリオ...そして裏面への鍵 テニス | ゲームミュージックDJ 200gavasのブログ

お疲れ様です!
ゲームミュージックDJ  200Gavasです☆



「私はコレで(小指を立てる)会社を辞めました」

の禁煙パイポが発売され

大好きなジャッキー映画「プロジェクトA」が公開された年

 

 

 

お婆ちゃんの後押しもあり

なんとか買ってもらったファミコン

この頃はサードパーティの参入もまだで

任天堂のみでファミコンソフトが発売されていた

 

 

 

小学生のくせに目標は「発売されるソフトは全部買う」

という無謀なものだったが、せっせと家の手伝いをして

目標達成のために、おこずかいを稼いでいた

そして購入したソフトがこちら

 

 

 

 

 

テニス

 

 

1984年、任天堂から発売

なんでも日本で始めて

テニスをちゃんとゲーム化したものだそうだ

それまでテニスといえばブロック崩しの対戦版

いわゆるPONGを指していたらしい

 

 

 


なにを隠そう、コレでテニスの点数の数え方

テニスのルールを覚えた!!

レベルも数段階選べ、それと共にスピードアップ

シングルス、ダブルスとあり

ダブルスでは2人協力プレイだった

対戦が出来なかったのが惜しまれる

 

 

けど弟、親父とよくダブルスをプレイ

もしかしたら、1番家族でプレイしたゲームかもしれない

 

 

 

このテニスの審判をしているのが「マリオ」

でもマリオって名前はマリオブラザースからだから

この頃はまだ名前が付けられてなかった気がする




このテニスが数年後、脚光を浴びることになる

1985年にスーパーマリオブラザーズが発売され大ヒット!!

それにともない空前のファミコンブームが訪れた

玩具屋さんで売り切れ続出、ゲーム雑誌では

スーパーマリオの裏技がこぞって紹介されていた

 

 

 

その中でもファミコン少年、少女に衝撃を与えたのが

幻のスーパーマリオ、ワールド9である!!

完全なバグ技なのだが

このワールド9に行くためにテニスが必要で

テニスを所有してた僕の家に、クラスのゲーマー達が

ワールド9を見に集合したことがあった

 

 

とにもかくにもテレビゲームのテニスの元祖

これがなければ「ファミリーテニス」も「マリオテニス」も

無かったかもしれません...知らんけど

 

 

 

最後まで読んでいただき、あざっす!!