大好きなメーカーだったぜ...ジャレコ | ゲームミュージックDJ 200gavasのブログ

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わたくし200ガバス...

クソゲーという言葉は好きではありません

しかしファミコンブーム到来時は

出せば売れるという状態が少なからずあったのでしょう

「こ...これは酷い...」と感じてしまうゲームが

多々あったのも事実です

 

 

 

今回はそんな残念なゲームを多数販売してしまった

今は無き、ゲームメーカーを紹介します

 

 

 

 

 

ジャレコ

 

 

創業は1974年ですが

ジャレコという名前になったのは1983年

なんとファミコン初期のサードパーティー6社の内の1つで

任天堂にはかなり優遇されていたようだ

 

 

 

 

僕が初めて見たジャレコのゲームは

ゲームセンターで見た、フォーメーションZというゲームで

ロボットから飛行形態に変形しながら

敵を倒していくシューティングゲームだった

凄く難しかったけど変形モーションがかっこよく

当時としても新しい

ボタンを長く押して離すとより強力な攻撃ができる

貯め撃ちなどもあり、楽しませてもらった

 

 

 

なんと言っても、1番覚えているのはシティコネクション

追いかけてくるパトカーから逃げながら

足場を全て走行し、塗りつぶせばステージクリアなんだけど

ステージ構成が多彩で、アメリカ、イギリス、フランスと

世界中を旅し、変わる背景にドキドキしながらプレイ

うまいお兄さんのプレイも見守っていた!!

 

 

 

 

その他ゲーセンでは「ぶたさん」「銀河任侠伝」など

コミカルな高難易度のゲームながら面白いゲームをだしていた!

特に「銀河任侠伝」は今なら絶対に販売できないゲームだった

(銀河任侠伝の記事はこちら)







はじめて「なんじゃコレは!!」と

考えさせられたジャレコゲーは

ミシシッピー殺人事件(このゲームの記事はこちら)

殺人現場に辿り着くのも至難の業だった...

 

 

 

 

 

その後に遊んだのが「チョップリフター」

バンゲリングベイ、ロードランナーの流れを組むゲームで

アーケード版はセガが発売してたゲームの移植なんだけど

全く別ものに...

この移植をジャレコが担当してました

 

 

 

あと有名なのは

「燃えろプロ野球」のバグのオンパレード

バントでホームランは伝説にもなっている

(当時遊んでいた友人が野球部だったので、けっこうプレイした)

 

 

 

スーパーファミコンでは、ファイナルファイトのような

ベルトスクロールアクション「ラッシング・ビート」や

様々なスポーツゲームを販売するも評価はイマイチ...

 

 

 

しかしラッシングビートの2作目や

アイドル雀士スーチーパイなどは評価が高く

何作か続編が製作されています!!

 

 


 

2000年に香港の会社が、ジャレコの株式の保有などで社名が変更

この間に発売したタイトー名作シューティング「ダライアス」の移植版

ダライアスRをゲームボーイアドバンスで開発、販売するも

酷いゲームバランスとBGMを誇り、どんな方向から聞いてもセガのゲーム

ファンタジゾーンのBGMを使用!!

ダライアスファンから袋叩きにあう...

 

 

 

なんやかんやあり、2006年には元の社名に戻り

本格的にゲーム開発を開始するも

2009年に4億円をかけた大作RPG「黄金の絆」が大ごけ...

社運をかけたゲームが2009年のクソゲーにランクイン!!

このゲームはネタの宝庫なので改めて紹介したいですねw

 

 

 

 

 

2013年に事実上に事業を停止し

2014年に親会社の破産に伴い、完全に姿を消すのでした...

 

 

 

 

僕の中では思い出いっぱいのゲームメーカー

銀河任侠伝は今でもプレイしたいゲームの1つです

ありがとう...ジャレコ

 

 

 

最後まで読んでいただき、あざっす!!