精神的断捨離 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 近頃すっかり記事の更新が減ってしまっているが、例年大晦日と元日だけは必ず何かしら書いているので……。

 

 このブログを始めて以来、特に、今住んでいる新宿に引っ越してきてからは「今年は相変わらずの生活で云々」と書く年が多かった気がしている。

 だが、2023年は私にとって様々な変化があり、決して「相変わらず」ではなかった。

 

 大きかったのは二点。

 一つは、三月にテレビアニメにおいて脚本家チームのチーフ役を務めるシリーズ構成というポジションのみを引退した事(具体的には3月26日の『シリーズ構成のみ引退します』をお読み下さい)。

 若手ライターがテレビアニメの脚本を書く時、まずは「各話ライター」というポジからスタートする。一つの番組で4~5人のライターがそれぞれの回を分担して書き(このポジを各話ライターと言う)、そのうちの一人となる訳だが、彼らのまとめ役をするのがシリーズ構成である。

 若い頃の私もそうだったが、若手は皆がこの「シリーズ構成のポジ」を目指す。サラリーマンで言えばそれは出世に他ならず、シリーズ構成を担当するようになれば、いっぱしの脚本家として業界の信用を得る事ができ、生活も各話ライターだった頃に比べれば格段に安定する。

 だが、いざシリーズ構成になってみると、やるべき事があまりに多く、自分の担当回の脚本はそっちのけで(とはいえ、きちんと書くのだが)、この「まとめ作業」に翻弄されるようになる。数年こなせば慣れるものの、出世とは名ばかりで作業としてキツい事この上ない。また、このポジについたからとて、シリーズ構成料なるものをもらうにはもらうがたいした額ではなく、業界の信用を得る以外に金銭的なメリットは、ほぼない。

 それでも、「作品の脚本クオリティをコントロールする」という仕事にはかなりの醍醐味もあり、私は長年そこに魅力を感じてきた。それでも、60を過ぎて体力の限界を感じたためにこのポジションを辞める決断をした。その後は各話ライターに戻って今日まで脚本を書き続けている。

 サラリーマンで言えば、きのうまで課長だった人がいきなりその下の部下のポジに下がるのと同じだから、一般の方からすれば不思議な感じがすると思う。

 が、今年の私は実に爽快な気分でこの「各話ライター」をこなした。久しぶりに感じる、「自分の脚本担当回に集中できる」自由な空気が殊の外気持ちよかったのだ。脚本の仕上がりも、自分で言うのも何だがそれまで書いていたものに比べてどこかのびのびしている気がする。

 

 もう一点は、一月の末に長年の運動不足のために血圧が基準値の上限ギリギリまで上がっているのが発覚し、慌ててウォーキングを始めた事。

 今でも毎日続けているが、その効果で血圧は正常に戻り、体調もいい。ただし歳のせいで体力が戻るはずもなく、要は健康維持のためだけに続けている。

 しかしこれがやってみると、楽しいとまでは言わないがそこはかと爽快な気分で、毎朝精神的にすっきりする。「あー、自分は歳を取っちゃったな」などとネガティブな気持ちで暮らしているとおそらく体そのものにもガタが来るのだろうから、その意味では確かに健康維持にはいいのだと思う。

 

 つまり……。

 仕事上の様々なやっかい事をプロデューサー及び監督と各話ライターとの板挟みになって何とか着地させなければならない、精神的に負荷のかかるシリーズ構成をやめ、さらに健康維持のために始めたウォーキングで毎朝気持ちがリフレッシュするという二つの点は、私にとって「精神的断捨離」だったと思っている。やりがいはありながらも常にどこか気持ちがモヤっているシリーズ構成と、運動不足の身体のせいで感じる精神のしんどさを同時に捨て去る事ができた訳である。

 この二つは(しかもそれらがほぼ同時に起きた)、ここ数年の中では、私にとって最も大きな出来事だった。

 

 近頃、同居女子もよく言う。

「最近のまさしは、顔が明るいよ」

 そう言われて鏡を覗いてみると(私は滅多に鏡を見ない)、確かに皺こそ増えたものの、心持ちから来るモヤっとした影のようなものはなく、自分でもすっきりした顔つきに見える。

 意識してやったのではないが、いつの間にか、今年一年の間に精神的な断捨離、モヤっていた様々な夾雑物を捨て去る事ができたようだ。

 

 上の写真は我が家の近くの広場。

 広場に出るための階段が別方向から一つずつある。

 双方の階段が、それぞれこれまで私が抱えていた二つの「モヤりの階段」だとすれば、今の私はこの二つを登り切り、上の広場の空間に出た事になる。

 そこには、私にとっては残りの人生を自由に過ごせる爽快な広場が広がっているような気がして、悪い気分はしない。

 

 二年ほど前からハマりにハマっているYOASOBIの歌詞の一節に、

『行こう、あとは楽しむだけだ』

 というフレーズがある。

 その通り。

 私も後は楽しむだけだ、という気分なのである。残りの人生を。

 

 今年も相変わらず少ない投稿でしたが、お読みいただいた皆さん、どうもありがとうございました。

 投稿記事が少ないとはいえ、今後もブログはずっと続けていきますので、来年も気を長くして次の記事をお待ちいただけると幸いです。

 

 それでは、どうぞよいお年を。

 同居女子も隣でぺこり(年末恒例のご挨拶)。