トムと模型と幽霊と | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 

 まず最初に……。

 今回から、映画に関する記事の時はその映画のソフトのジャケ写をPickを使って再び載せる事にした。

 以前は簡単に載せるだけだったのでよく使っていたのだが、載せると報酬が発生する仕組みに変わり、脚本家がブログに同業者の映画のジャケ写を載せて報酬をもらうのも何だか間抜けな話だなと思い、しばらくやめていた。

 だが、映画の記事だとどうも何もないと記事とししまりがないので、いろいろ考えた挙句復活を決めた。この記事がその第一回目。

 ただ、これはやはり(私が脚本家なので)小遣い稼ぎになってしまうとバカみたいだから、報酬はある程度まとまった金額になった時点で信頼のおける医療または福祉関係の団体に全て寄付する事にした。

 寄付した時は、必ずこのブログで内容をご報告します。

 

 さて、「トップガン」である。

 以前にこのブログに書いた気もするのだが、今から36年前、1986年の暮れに日本で公開された時かなりヒットしたのだが、私やその友達、映画好きの人の間では、大変言葉は悪いのだが若気の至りもあり「久しぶりに『おバカ映画』をみたな~」と皆で大笑いした。

 内容は悪くないし、F-14トムキャットが空母から発艦していくシーンなどは震えるほどかっこよかった。お約束の展開が多いとはいえ、マーヴェリック(トム・クルーズ)の『トップガン』での同級生であり友人でもあるグースの死と彼の妻キャロル(メグ・ライアン)の悲しみには我々も泣かされた。

 だがそれはマーヴェリックたちが『トップガン』を卒業するまでの話で、その後インド洋の艦隊が明らかにソ連のものと思われる航空部隊と交戦状態に入り、マーヴェリックたちもこの戦闘に参加する事になる。

 架空の敵機でありながら劇中で「MIG-28」となっているからあれは明らかにアメリカの空母艦隊とソ連の同様の部隊がガチの空中戦に及んでいるのであり、中には撃墜される機も出てくる。

 マーヴェリックの乗ったトムキャットが発艦していく時、空母の無線で『これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない』というOFF台詞が響いた時、私たちは劇場の椅子から転げ落ちそうになったほど驚き、かつ唖然とした。

 当時の世界的常識から考えて、米ソがインド洋上で空中戦などしたら、それこそ瞬時に第三次世界大戦の引き金を引きかねない大事件であり、今のような世界情勢とは全く違った、当時の比較的のほほんとしていた空気の中で暮らしていた我々は、「アホか……いくら映画でも、んな事あるわけないだろ」と呆れ返り、よって「久しぶりの『おバカ映画』だね」と笑っていた訳である。

 

 だが。

 飛行機好きの私は、ワクチン接種と万全の予防対策をしてまで「トップガン/マーヴェリック」を映画館に観に行った。当初はF/A-18ホーネットが主役機だというので、それが目当てだった。失礼ながら、ハナから内容など当てにしていない。

 ところが、あれから36年が過ぎた今、観た時に還暦直前だった私は、若い頃言っていた『おバカ映画』などという悪口はすっかり忘れてしまい、後半、マーヴェリックが、かつて死んだグースの息子であり、今はマーヴェリックの部下でもある若いブラッドリー(マイルズ・テラー)を、「このコは必ず連れて帰る」という鋼の如き信念の元、敵から奪ったポンコツのトムキャットで逃げに逃げ、海上前方に帰るべき自分たちの空母が見えてきた瞬間、涙が止まらなくなってしまった。

 36年後。

 自分が20代前半に観た時に無鉄砲で跳ねっ返りの若者キャラに過ぎなかったあのマーヴェリックが今や50代になり、死んだ友人の息子を、まるで我が子を絶対に死なせないという実の親の如く、歯を食いしばって空母にたどりつく。

 あの、広大な海の上に空母が見えた瞬間、私は「36年経つとはこういう事か」と感覚的にわかったのだと思う。よって、マーヴェリックがブラッドリーをまるで我が子のように守ろうとするあの気持ちが、電撃のように心を突き抜け、泣いてしまった気がしている。

 そんな事は有り得ないものの、「もし自分がマーヴェリックだったとしたら、やっぱり彼と同じ気持ちで同じ事をするだろうな」と、理屈ではなくほとんど生理的にズドンと腑に落ちたのである。

 そんな経験は、今まで映画を観ていて一度もした事がない。

 もしかすると、現在50代~60代前半の、私も含む世界中のおじさんたちで、かつて一作目を劇場で観た人は、今回の「マーヴェリック」を観て「意外な事に泣いてしまった」という人が多いのではないか、そんな気がしている。

 

 その後、最近の記事に書いたように、私が子供の頃は今のロシアによるウクライナ侵略のニュースと同じ体で、毎日ベトナム戦争のニュースが放送されていた事を思い出し、作る気になったのが下の写真の模型、ベトナム戦争時の米軍の主力戦闘機だったF-4CファントムⅡ(写真のこれは空軍仕様)である。

 

 

 「デジモンゴーストゲーム」の仕事で多忙な中、その合間にしか作る時間がなかったので何と半年もかかってしまったが、ようやく完成した。相変わらず写真が下手なのでよく映っていないのだが、「ベトナムといえば泥」というイメージが当時あったほど、あれは兵隊がいつもぐじゃぐじゃの泥まみれの戦争だった。なので、ファントムの周囲にいる兵隊たちのフィギュアの足下は、『雨上がりでどろどろになってしまった滑走路」を想定し、泥色の塗料を本物の泥のようにてんこ盛りにしてある。

 最近「汚い爆弾」という何ともひどい語感の言葉をよく耳にするが、ベトナム戦争は、核ではないものの、ジャングルが主戦場だったために、常にニュースのビジュアルが泥のせいで汚い感じだった。いえば、子供の頃の私の記憶の中では、ベトナム戦争は「汚い戦争」なのだ。

 本当は、時節柄こんな模型の写真を投稿するのは我ながらいかがなものかと思っていたのだが、よく考えると、世界のモデラーと呼ばれる人々は今回のロシアのウクライナへの暴挙でそうとう困っていて、皆どことなく肩身の狭い想いをしているはず。何故なら、昔から世の中には、物事を実に短絡的に結びつけてしまう人がけっこういて、そのような人は「こういう模型が好きなんだから戦争が好きなんでしょ?」といとも簡単に考えてしまいがちだ。

 だが、これは言い訳ではなく、世界の模型作りが趣味である人々を代弁して言わせてもらうが(何だかいっぱしのモデラー気取りでアホみたいだが)、戦闘機の模型を作るのが趣味だからといって決して戦争そのものが好きな訳ではない。むしろ逆で、これは小さな男の子が単純に飛行機や車や列車をかっこいいと感じる感情の延長線上で作っているに過ぎず、女の子がおしなべてバービー人形やリカちゃん人形が好きなのと同根である。ただ、リカちゃんから戦争を連想する人はいないから事なきを得ているにすぎない。つまり、リカちゃんにアドバンテージがあって、男の子の戦闘機好きは不利、特に大人になっても作っていると、短絡的な人から変な目で見られるという事に過ぎないのだ。

 なので、決してそうではない事をおわかりいただきたい。

 戦闘機の模型を作る人間だって、平和は祈っているという事を。

 「逆」とはそういう意味である。

 

 最後に。

 タイトルに書いた「幽霊」とは、ここまでお読みいただければおわかりのように「ファントム」の事だ。

 小学生の頃、この、当時の最新型の戦闘機の名前が「ファントム=幽霊」だと知った時、私たち小学生男子は戦慄したものだ。戦争に使われている最新型戦闘機の名前が「幽霊」で、にも関わらず、男子なら誰が観ても震えがくるほどフォルムがかっこいい戦闘機、それがファントムだったのだから。

 1975年、中学生になった頃だった。

 「ブルー・エンゼル」というアメリカのドキュメント映画が公開された。この頃のアメリカ空軍の青い曲舞飛行隊に使われていたのはファントムで、ファントム好きの私は喜んで観に行ったのだが、なにせドラマのないドキュメントなので、どんなだったかはほとんど覚えていない。

 だが、唯一心に映像の記憶として残っているのは(もしかすると思い出補正がひどすぎて、今観るとそんなシーンはない、なんて事もあり得るのだが。笑)……。

 カメラは滑走路の片端から、滑走路を真正面に捉えている。

 その滑走路の反対の端の遠くには陽炎が立っていて、そこに、タキシングウェイから一機、また一機と「青い幽霊たち」(ファントム曲舞隊機がゆらゆらと滑走路に入ってきて、陽炎の中を、本当に幽霊のように揺れながらこちらに向かってくる。やがて彼ら「幽霊」はカメラの手前で急角度で上昇して画面から消える(空に向かって離陸していく)のだが、この映像が強烈で、まさしく「幽霊」以外のなにものでもなかった。そして、航空機としてのかっこよさ以外に、その陽炎もあいまって、何だか「戦争の塊」が不気味に飛び立っていくというような錯覚に陥った。

** おヒマで興味のおありの方、DVDなら中古が手に入るそうなので、ご確認していただくのも一興かと。もし「そんなシーンはないぞ!」となったら、遠慮なくコメントいただければ、素直に「思い出補正でごめんなさい」と深く謝罪いたします。

 

 謝罪はさておき。

 「トップガン/マーヴェリック」がウクライナ危機とからめて妙な批判をされなかったのは幸いだったが、要は、映画も模型も題材が戦争なだけで、その媒体はあくまで娯楽であり、決して戦争そのものを賛美してはいないし、それを楽しんでいる我々とて、決して「戦争映画や戦闘機の模型が好きだからって戦争好きではない」という事だ。逆に、皆が皆そう意識してしまうようでは、「マーヴェリック」の驚異的なあのヒットはなかっただろうから。

 戦争をやめない人類は愚かだなと思う反面、本物の戦争と映画や模型は別物ときちんと分けている人類は賢いなとも思う。

 

 賢くなく愚かなのは、隣国を強奪しに行き民間人を犠牲にする事も厭わないどこかの為政者と、それを止められないその国の政府である。

 

 そうした愚か者のせいで、我々模型好きが変な目で見られてはたまらない。

 

 最近、折に触れそう思っている。