天罰 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 今日は、少し前、4月の終わり頃に起きた出来事についてである。

 内容は、「天罰」について。

 

 4月の終わり頃、我が家に二枚のアベノマスクが届いた。

 新宿区は当時感染者数の最も多かった東京都の中でも(今でも多い事には変わらないが)、二番目に人数が多い区だったので、発送が早く行われた。外出自粛でずっと家にいると特に感染の危険は感じないのだが、それでも「感染者が多い地域」に住んでいる身としては、どうしても不安な日々が続く。そんな中、報道で「世田谷区と新宿区に発送が始まりました」と聞いた日から十日ほどして、我が家のポストに入っていた。

 

「はー、これがアベノマスク」

 私がポストから取り出したマスクの包みを部屋に持ってくると、さっそく開けた同居女子がしげしげと眺めている。

「『布製マスクはめが粗くて防菌になりにくい』という記事を読んだけど、実際どうなんだろうね」

 私はそう言い、はたと思い直した。

「でも、そもそも『マスクは、もし自分が感染していた時に他人に染さないためにする』とも言うしね。あ、それでもめが粗いならウイルスが出ていっちゃう可能性も高いわけか……うーん……」

 近頃はどの情報をどう分析してどう信じたらいいのやらよくわからなくなっているな、などと思っていた時。

「おー」

 壁にかけてある小さな鏡の前に立っていた彼女が、そう感嘆しながら私の方に振り向いた。

 さっそくアベノマスクを付けている。

「ジャストサイズだわ」

 見ると、確かにちょうどいい具合に、アベノマスクは彼女の顔の下半分を覆っていた。過不足なく、正にジャストフィットしている。

 これまで、同居女子が小顔かどうかなど考えた事もなかったのだが、今こうして世間で「小さい」と言われているアベノマスクを付けた顔を見ると、確かに顔自体が小さい。

 私は言った。

「へー、小顔なんだな」

 実は彼女自身も、あまり意識していなかったらしく、少し驚いた様子である。

「ふーむ、わたし、小顔だねー」

 そう言いながら鏡の方に向き直ると、彼女は首をかしげたり顎を無駄に突き出したりして、アベノマスクのフィットぶりを微に入り細にわたり確認している。

 私は続いてこう言った。

「それは何かい?小顔自慢をしているのかい?」

 彼女は鏡を覗き込んだまま答えた。

「そういう訳じゃないけど、ジャストサイズだなーと思うわけよ」

 じゅうぶん自慢している。

「まさしは?」

 言われて私も付けてみた。すると、同居女子ほどではないにせよ、使えないほど小さくもない。

「まあまあだな」

 すると、彼女は残念そうに言った。

「なんだ、つまんない」

 つまり、この場の流れとしては、自分はジャストフィットしているのに、私が試したらアベノマスクが小さすぎ、「あははは!」と笑いたいところだったらしい。しかしそうはならず、残念なのだ。

 やっぱり完全に「小顔自慢モードに入っているな」と思いつつ、その後夕食の支度をしたりしている間にアベノマスクの事は忘れてしまった。

 だが。

 

 それからしばらくの間(今でもそうだが)。

 夜になり、私が机に向って本を読んだりネットで調べ物をしていると、時折椅子の背もたれの後ろに彼女の気配がする。

「あ、また来た……」

 内心そう思いながら、ずっと家にいてストレスが溜まっている様子なので(私は在宅のストレスはゼロである)、ここはお相手をせねばなるまいと思い、私が振り向く。

 すると。

「うふふ」

 家の中にいるのに、アベノマスクを付けている彼女がくぐもった声で笑っている。時折思い出したように、こうして私の机の所に「小顔自慢」にやってくる訳である。

「小顔だね」

 私がお付き合いでそう言うと、彼女は必ずこう返してくる。

「そうでもないけど……うふふ」

 仕方がないのでしばし「小顔談義」をし、彼女が満足すると私は読書に戻る。

 ところが、一度この「アベノマスクモード」に入ってしまうと、彼女はかなり長い時間、屋内なのにマスクを付けっぱなしにしている機会が増えた。

 ある時、聞いてみた。

「そんなに小顔が嬉しいのかい?」

 マスクのせいでくぐもった答えが返ってくる。

「そうでもないけど……うふふ」

 まったく呆れたものだが、とはいえ、アベノマスクのお陰でささやかなストレス解消ができている様子なので、私も「まあいいか」と思いそのままにしておいた。

 

 そんなある日の夜。

 相変わらず私が読書をしている時だった。

 私の背中の後ろをパタパタと通過していきながら、彼女が言った。

「シャワーするね」

「どうぞ」

 この会話に特に意味はないのだが、我が家ではシャワーの時に何となくそう言い合う習慣になっている。

 だが、それからしばらくして……。

「ほげぇっ!」

 浴室から同居女子のひどい叫び声が聞こえた。浴室と洗面所の二枚のドアを突き抜けてかなりの音量で聞こえてきたので、最初は何事かと思ったのだが、シャワー中でもあるし、様子を見に行くべきかどうするか迷っていると、「ほげぇっ」の原因がハタとわかり、私はまた読書を再開した。

 しばらくしてシャワーを終えた彼女は、リビングに戻ってくると、いつもの(やらかした時の)消え入りそうに恥ずかしそうな顔をしている。

「やっちゃった……」

「何が?」

 私は何が起きたのか薄々わかっていたが、ここもやはりお相手をせねばと思い、あえてそう聞いた。

 同居女子は、浴室でとてつもない事件が起きたという体で報告する。

「アベノマスクしたまま、シャワーしちゃった!」

 私の正解、である。

 「小顔自慢」で浮かれて頻繁にアベノマスクを屋内で付けていた彼女は、それがちょっとした習慣になってしまい、シャワーをすべき姿になったにも関わらずアベノマスクだけは顔から外すのを忘れ、そのまま顔面に勢いよくシャワーをぶっかけてしまったのだ。

 彼女は、自分が恥ずかしいのはもとより、心底驚いた様子をしている。

「あれ、ちょー苦しいね!マスクがずどんて重くなって、息ができなくなって死ぬかと思ったよ!」

 私は淡々と言った。

「悪名高い、『グアンタナモ基地の水攻め』っていうのがあってだね……」

 少しのお湯ならともかく、勢いよく出たそれを一瞬で吸収したアベノマスクは、グアンタナモの件の水攻めに近い威力を発揮し、彼女の呼吸を奪いそうになったのである。水攻めの例を出してそう説明した。

「だから、『ほげぇっ!』ってなったんでしょ」

 彼女は、またもいつもの如く消え入りそうに俯いて言った。

「小顔で喜んでた天罰だわ……以後、気をつけます」

 私は言った。

「アベノマスクは洗えるんだよ。次にシャワーする時は、ついでに洗うといいよ」

 彼女は腹立ち紛れに言った。

「きーっ」

 

 お断りしておくと、これは「マスクをしたままシャワーを浴びると危険です」という教訓でも何でもない。また、アベノマスクにそうした危険が潜んでいるという訳でもない。

 そんな事をする人はこの世で同居女子くらいしかおらず、「ほげえっ」という状況自体が滅多に起こらないからだ。

 ただ、私も同居女子も素朴に「天罰」なるものを信じているので、彼女にとってはよい教訓になったのかもしれないが。

 

 これまで誰も経験した事のない外出自粛。

 当然、想定外の事が様々巻き起こる。

 

 ただ、笑える失敗程度なら、むしろストレス発散になってよいのかもしれない。

 

 追記

 まだまだマスクが逼迫している地域もあるかもしれないので、我が家では、アベノマスクは他のマスクと併用しています。

 洗うのは、同居女子の担当です。笑。