新大陸 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 あらかじめお断りしておきたい。

 今日の記事は、私に数人の中国人の友人がいる事とは何ら関係がない。ただの偶然である。だが、世の中には不思議な縁というか、何か見えない力が思わぬものを引き寄せる場合もあるものだ、と思っている。

 

「十川さん、中国アニメの仕事、やってみませんか?」

「は?中国アニメ?」

 2年前、そんな電話をいただいた。これが発端である。

 中国のテレビで放送される、子供向けのアニメの脚本を書かないかという打診だった。もっとも私に電話をしてきたのは日本人だし、制作するのは日本のアニメ会社である。つまり、中国から日本の制作会社に対して「出資をするからテレビアニメを作りませんか?」という依頼があり、日本の会社が下請けとしてこの依頼を受けた、という事になる。

 私はその頃まるで仕事がなく、外国のアニメの仕事も面白そうだなと思った事もあり、こう答えた。

「わかりました。ぜひ」

 以来、今日に至るまでの2年間ずっと中国アニメの仕事をしているし、もっと言えば、来年まで大陸から来ている依頼でかなりスケジュールが埋まっている。

 

 引き受けて会議が始まってみると、新しい事だらけでいちいち新鮮である。

 まずこの「中国からの仕事」、たいていの場合、日本のテレビでは放送されない。韓国でもあまり放送はないらしい。

 だが、あの広い中国全土は勿論の事、少しタイムラグはあるもののASEANを中心とする広範囲なアジア諸国、その後は北米大陸(アメリカ、カナダ)でも放送されるという壮大な規模である。

 噂で聞いただけだが、「日本国内の仕事しかしない」ときっぱり宣言しているライターもいるそうだ。それは個人の自由だから私は何も言う言葉を持たないが、私に限っては、もともとどこの国の作品であろうと、「そこに見る人がいる限り」、つまり「そこに山があるから登るのだ」的な感覚の方が強いから、最初から全く違和感がなかった。それに、この10年ほどのジャパニメーションの海外への浸透にすっかり慣れているから、国の垣根は最初から意に介さなかった。

 ちなみに、作品に関する全ての資料や先方からの要望は日本語に翻訳されてメールで送られてくるし、我々はフツーに日本語の脚本や絵コンテを書けばよく(後にこれが中国語に翻訳されて、あちらでの作業のテキストとなる)、毎週の脚本会議も日本の制作会社で行われるから、わざわざ中国に出向く必要もない。ネットの普及で、その点は便利このうえない。

 ケースによって様々なようで一概には言えないのだが、私が関係した仕事に関しては、中国側のスタンスがある意味「凄みのある」ものだった。これは今でもそうだ。

 「日本側にお願いしたいのは、脚本、絵コンテ、美術デザイン、キャラデザインまでです」

 その後完成に至るまでの、物量を必要とする最もやっかいな作業、原画や動画、色彩、背景画といったいわゆる「作画の作業」は全て中国で中国人によるスタッフが行い(当然アフレコや効果音も中国が自前でやる)、テレビシリーズを構築するのである。

 何が凄みなのか。

 この最も大変な作業全般を彼らが全て自前でこなせるのである。一昔前ならあり得ない状況だが、あの国の「アニメにおける技術」は、現在そこまで進化してきている。ただし、脚本や絵コンテといった作品の根幹を担う部分については、まだまだ人材不足で自信がないらしく、我々日本人に依頼してくるという構図になっている。そこには、アニメーションの日本ブランドを活用したいという思惑も、当然ある。

 仕事が始まってしばらくして、テレビシリーズの最初の方の回が完成し見せてもらった時の事。

「うっ……」

 それはいい意味での「うっ」だった。

 見ていた私たち日本人スタッフは度肝を抜かれた。

 作画のレベルはかなりのもので、日本で放送されているテレビアニメとほとんど遜色がない。メカのアクションなどに使われるCGに至っては、「よくもこれだけの物量を軽々とこなせるものだ」と感心するほどの仕上がりだった。台詞を日本語に置き換えれば、日本のテレビで放送しても十分見栄えのする仕上がりになっている。

 あとは脚本や演出の人材が育てば、わざわざ日本に発注する必要はなく、全て彼らの手で作れるのではないか、そう思える完成度の高さだった(誤解のないように書いておくと、全ての中国アニメの完成度が高いという訳ではない。たまたま私の当たった作品はそうだったというだけである。だが今のところ、「えー、これはよくないな」という仕事には当たっていない)。

 

 そんな中、日本では去年の春から夏まで深夜に放送された、「聖戦ケルベロス」という作品の脚本を書いた。

 これは、香港、中国、日本(テレビ東京)が共同制作したもので、数年前のグリーのソーシャル・ゲームを元ネタにしたものである。この時は制作は全て日本の会社が行い完成品を中国側に納品するというスタイルだったが、何とも新鮮な仕事だった。

 一応ゲームがあるとはいえ、基本、タイトルを拝借しただけのオリジナル作品である。

 しかも、日本国内の作品によくある放送上の制約が明らかに少なく、むしろ「日本で放送する際にはこの表現はできないから」と気を遣いさえすれば、かなり自由に脚本を書く事ができた。

 中国側からのオーダーも「自由に、ただし面白い物を書いてください」という、ある意味物作りの基本、理想的なオーダーで、何年も日本国内の「諸事情に配慮した作品作り」で苦労してきた身としては、目の覚めるような仕事になった。

 しかし考えてみればこれは本当に物作りの基本中の基本で、夾雑物のない、シンプルであるが故に様々な発想の脚本ができる環境で、それでいて思い切り実力が試される緊張感のある状態ともいえる。それでも大変さよりは楽しさの方が勝り、私にとっては近年の仕事の中では実に印象深いものになった。

 去年の3月、「聖戦ケルベロス」の配信が中国で始まった頃(日本での放送は4月からだったが、あくまで中国アニメなので最初の配信は中国先行だった)、日本側のプロデューサーからこんな話を聞いた。

「十川さん、向こうで配信が始まりました。すごいんですよ」

「何がですか?」

 プロデューサーは、なかば狐につままれたような顔つきで続けた。

「中国本土でのダウンロード数です。全13話分で、最終的に1億回に届くのは間違いありません」

「1億回?」

 数が多すぎで私も狐につままれたような顔になってしまったのだが、少なくとも日本の国内市場では、「ダウンロード数1億回」などといったらかなりの騒ぎになる数字である。しかし中国側にしたらその数字は「想定内。単なる数値目標にすぎなかった」という話を聞いてさらに驚いたものだ。万事に物事のスケールが違うようだ。

 そしてこれらの仕事に共通しているのが、「違法ダウンロードの影がほぼない」という点。中国といえば違法ダウンロードに関してはどうも良くないイメージがつきまとうが、習近平政権が違法コピー天国の汚名を返上しようと取り締まりを強化している効果が出てきていて、これらの仕事は全て正規のルートで、ルールで、著作権的にも完全にコントロールされた状態で放送、配信、運営がなされている。放送後に副次的にネット上に違法に乗るケースもあるにはあるが、数年前に比べるとそれらは激減している(これは、私もあちらのネットをよく見るので、個人的に実感している現象でもある)。

 これもまた、驚くべき「進化」である。

 

 新興期の産業にありがちな問題が多々あるのも事実だ。

 何しろ役所絡みの煩雑な手続きの多いお国柄だから、「いや、そこは今手続き中でして、もう少し待ってください」などと言われ、作業の立ち上げが遅れる事もしばしば。

 また、特にオモチャを素材とした子供向けの作品だと、新製品のオモチャの仕様がくるくると変わり、それに合わせて脚本の内容も容赦のない変更が余儀なくされたりする。日本の作品でもオモチャ絡みだと似たようなケースはあるのだが、あちらの商品開発は良く言えばダイナミック、悪く言えばその場の思いつきだったりするので、こちらがそういう「怒濤の変更」を織り込み済みで仕事をしないと、脚本のスケジュールや内容がガタガタになる面がある。また、組まれたスケジュールがあまりにギリギリで、放送に間に合うかどうかの瀬戸際を常に彷徨っている面もあり、私たち脚本家が火の出る勢いで脚本をあげていかなければならない場合もある。

 それと、私は幸いにしてまだ経験していないのだが、作品によっては契約上のトラブルが発生して訴訟騒ぎになったり、中国側がアニメ制作に慣れていないせいで指示や意見の行き違いから制作中止に追い込まれたり、というケースもあると聞く。もっともこれも、日本国内の仕事でもたまには起きるケースで、しっかりしたプランナーがおらず何となく制作している時には、どこの国でも「ありがちな」案件と言える。

 

 そうした諸事情をあれこれ考えた時、中国アニメは日本のアニメにとってはフィールドとして「新大陸」だなと思っている。

 以下は私の個人的な意見に過ぎないが。

 国内市場が色々な理由で息詰まっているのなら、新たな市場である新大陸に進出してゆけばよいだけの話で、何も日本にこだわる必要はない。さらに言えば、この新大陸には、全てのケースとは言わないまでも新興期特有の「自由」があり、上でも書いた物作りの基本を実践する事ができる。

「自由に、ただし面白い物を書いてください」

 このとびきり魅力的なオーダーの前では、諸問題など取るに足りないと思うのだ。

 それに、最初の放送や配信は中国だけでも(「だけでも」と言っても、人口が13億人な訳だが)、やがて多くの作品はアジアや北米、いずれはEUにも広く行き渡っていく。この新興アニメ業界を新大陸と例えたが、この新大陸、相当に世界的な規模なのである。

 日本の国内アニメに固執する必要は、どんどん薄らいでいくという図式になる。

 

 日本発祥のジャパニメーションが、こうしたワールドワイドな基盤を得て今後どうなるのかはわからない。いや、正しくはチャイナメーションと呼ぶべきなのだが。中国の経済が傾けばこの流れが途絶えないとも限らず、この新大陸に乗るか否かはたぶんに賭けである。

 ただ私は、「賭けてみる価値はある」と思っている。

 何より、仕事がありさえすれば、そして私たちのアニメを見たいという需要さえあれば、それが世界の果てであっても関係ない、と思っている。さらに言えば、時に業界内やネットに見受けられる中国という国や民族に関する感情論など、まったくのたわ言でしかない。現場でアニメ制作者どおしとして仕事をすれば、そうしたつまらない先入観や上目線など馬鹿馬鹿しい限りで、彼らは純粋に仕事のパートナーとして我々に接しようとしているし、我々もそれに応えればいいだけの話だ。

 

 あくまで私に限っての話かもしれないが。

 

「アニメ新大陸」への夢はふくらむばかりである。