そつが無いということ | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 少し前に、ある作品の打ち上げに行った。

 立食パーティーのその会場には、大袈裟でなくラッシュ時の電車もかくやというほど若いスタッフがひしめき合い、いい歳をした私などは「そろそろこういうパーティーも体力的にしんどくなってきたな」などと思いながら、所在なげにオレンジ・ジュースを飲んでいた。

 すると、その作品の仕事を私に紹介してくれ、会議にも何度も出席してくれた同年代のプロデューサー(以下P)が、むせかえるような人混みをかきわけながらやってきた。

「すごい人数ですね」

 私が言うと、長年の知り合いである彼も苦笑いした。

「昔はこんなの平気でしたけどね。どうです?十川さん。一通り挨拶も済ませた事だし、そろそろ先に抜け出して、どっかで寿司でも食べませんか」

 私は二つ返事でOKした。

 歳を取るとは、こういう事だ。

 

 会場から最寄りの駅まで二人で歩いて行き、手近の寿司屋を見つけて入った。まだ時刻は早く、お客さんはまばらである。Pがお店の大将に「テーブル席でいいすか?」と聞いたので、「ははー、ただ喧噪を抜け出したかっただけじゃなく、仕事の話をする気だな」とわかった。

 仕事関係の人と寿司屋に入る時、カウンターとテーブルのどちらをチョイスするかでこれからの話の内容がうっすらとわかる。カウンターなら昔話や雑談、テーブル席なら比較的突っ込んだ仕事の話なのだ。これは長年ずっとそうである。

 テーブル席に二人でついて、彼はビール、私はお茶だけ頼み、つまみをそこそこに食べながら話をした。

 やはり新作を準備しているというふわりとした打診で、彼はその内容を説明し、しかしまだ企画段階でゴーサインは出ていないので、もし実現したらやってみないか的な話だった。私はいつも物理的に手一杯でない限りは仕事を断わらないので、

「わかりました。じゃあ、正式に決まったらぜひよろしくお願いします」

 と言っておいた。決まって依頼がくればそれでよし、決まらずに企画が流れればそれで終わり。曖昧だが、私たちの仕事はたいていの場合こうして動き出すものだ(動き出さない場合も往々にして、ある)。

 

 仕事の話が終わり、テーブル席なので大将に「お任せで二人前握ってください」と頼み、以後は雑談になった。

 彼とは十数年前にテレビアニメの仕事で何度も組んだ間柄で、しかしその後互いに担当する作品がすれ違いで長年仕事はしていなかった。しかし最近になって彼の方から連絡があり、久しぶりにまた一緒に仕事をしている、そんな間柄である。

 ビールを飲み、握りを食べ、電子タバコを吸いながら、Pがぼそっと言った。

「最近のアニメって、ご覧になってます?」

 私は自分のセブンスターを吸いながら(私は電子タバコは吸わない)、ちょっと困って答えた。

「いえ。勉強不足なのは百も承知なんですが、アニメに関してはいつも自分の仕事の事で頭が一杯で、仕事以外で他の人のアニメ見るの、辛いんですよね。オフの時はアニメから離れたくて」

 彼は、私が昔からそうなのを知っているので、ただ笑っただけでそこに関しては論評しなかったが、続けて言った。

「どうもね、近頃多くて。そつが無いやつ」

「そつが無い?」

 私が聞き返すと、彼は笑いを引っ込め、真顔のような、少し怒っているような顔付きで言った。

「こういう仕事をしてますんでね、世間のヒット作は一通り見てるんですが……どうも仕上がりにそつが無くて。面白くないのが多い」

 何しろ他人のアニメはあまり見ないので実感がなく、そういうものかなと思いながら黙って聞いていると、彼が続けた。

「そりゃあどれも当たってるから、商売的にはOKな訳です。つまり、その、『そつの無い作品』のプロデューサーは、ちゃんと仕事をして成果も出したという事になる。だけど、彼らはあんなそつの無いだけの仕上がりで本当に満足してるんでしょうかね」

 少し説明が要るかもしれない。

 ここで言う「そつの無い仕上がり」とは、よくまとまっているしそれなりに面白いが、新しい描写に欠けていたりそもそも新しい物を作ろうという意欲が感じられなかったり、つまり過去のヒット作の要素をあちこちから引っ張ってきてかっちりとまとめ上げた、しかしそれ以上の物ではない作品、という意味である。

 

 これまでの記事に何度も書いてきたが、私はそれは「商売のみを想定した愚かな作品作り」だと思っているし、金銭的な成果が出さえすればいいという、およそ褒められない仕事の有り様だと思っている。

 このPとてプロデューサーだから、日頃そうした金銭面の結果については神経をすり減らして仕事をしている人だが、だからと言って、彼の中では利益が最終目標ではない。かかった製作費をペイし、さらに利益を上げるために様々な仕掛けをお膳立てはするが、結局は「内容でどれだけ勝負したか。そつ無くまとまっているだけでなく、どれだけお客さんをハッとしさせるような新たな魅力に満ちた作品を作り上げたか」が、彼の仕事の価値基準である(私もそうだ)。

 ここのところのヒット作を見ていると、そうした意欲的な作品にちっとも行き当たらず、閉口しているというのが彼の話の趣旨だった。

 私は、かつて彼とテレビアニメの仕事をしていた頃を思い出して言った。

「そう言えば、あの頃は、お互いに『そつ無くまとめよう』なんて、これっぽっちも思ってなかったですよね」

 現状におおいに不満のある彼は、少し暗い目つきで答えた。

「そうですよ。そんな事、さらさら思ってなかった……いったいいつの間に、こんな風潮になっちゃったんですかね」

「まあ、あれです。少なくとも我々はそうしなければいいんじゃないですか?今だって『そつ無くまとめよう』なんて思ってないし、今度の(さっき打ち上げのあった)仕事だってそうだったでしょう?当てる方策は××さん(P)に考えてもらうとして、私は脚本書く時は攻めていきますのでよろしくお願いします。っていうか、そういう書き方しかできないし」

 Pは、小ぶりの台に残って少し乾いてしまった握りをほおばりながら言った。

「そう言ってもらえると助かります」

 私が酒を飲まないので、二人はほどほどの時間で切り上げて、それぞれ家路についた。

 

 そつが無いということ。

 それを悪いとは言わない。そこまでとんがる歳でもない。

 しかし、それだけでは決して面白い作品など生まれはしない。ここ数年若いスタッフと仕事をしていると、この「そつが無いものを指向する」空気は私も少し感じて気にはなっていた。「過去の作品のあのシーンが好きだから、あのままやってみたい」という、唖然とするような意見に当たったり、「とにかく当てたいんです。そのために何とかそつ無くまとめたいんです」と真顔で言う若手スタッフに出会い、「ちょっと待ちなさい。それは違うよ」とやんわり意見した事もある。

 「そつが無い」=「正義」なのではない。

 「そつが無い(よくまとまっている)」+「何か一つでも、ハッとするような新しさがある」=「正義」なのだと思っている。

 この思考を手放してしまったら、新作を作る意味などない、とまで思っている。

 

 どうだろう。

 

 若手スタッフ、特に若いプロデューサー諸氏には、一度じっくり考えてみてほしいと思っている。