ようやくの「責任者特定」 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 これまで何度か「豊洲市場移転問題」について書いてきた。

 今日の都議会一般質問で、小池都知事が「歴代の中央卸売市場長ら担当幹部について、責任の所在を明確にする。退職者を含め、懲戒処分などのしかるべき対応を取る」と答弁した。

 ようやくである。

 私はこれまで何度も都庁の役人の無責任な体質を批判し、「こんな事では都庁に対して信用がおけないから、税金を払う気になれない」とまで書いた。

 先日、役人が知事に提出した報告書では、「責任の所在が特定できない」とされ、この報告を受けた知事が「いいえ、特定するのです」と名言した訳である。

 私が(のみならず都民のほとんどがそうだと思うのだが)ずっと主張してきたのは正にその点で、「一体当時の責任者は誰だったのか?この杜撰な計画を承認した者とは役所の中の何者なのか?」という事だった。

 何度も書くが、本当にようやく、である。

 あの報告書を見た都知事は、さぞや怒髪天を突いたに違いない。

 

 あり得ないのである。

 役所に限らず、企業にしても学校にしても病院にしても何にしても、この国は「ハンコ社会」である。下の立てた計画が上に上がっていく時、あるいは逆にトップダウンの指示の時、いずれにせよその上下に関係なく各過程で必ず何枚もの書類にハンコが押され、最終責任者が彼自身のハンコを押して物事が動き出す、それがこの国の社会でありシステムである。

 だから、あの杜撰な計画について、「最後にハンコを押した者」が必ずいたはずで、知事に怒られて慌てて調べたものの、隠蔽したのか本当にわからなかったのか、「個人の特定に至りませんでした」では、これはもうあの庁の役人たちは子供の使い以下である。知事がここで問題を曖昧にせず、追求の手を緩めない姿勢を示したのは素晴らしい、というよりは当然の事である。

 

 これは中世の魔女狩りでもなければ、江戸初期の踏み絵でもない。昔の漫才で「責任者出て来いっ」というフレーズがあったが、とぢらかといえばあれに近い。

 出てきたところを皆で個人攻撃するだけでは確かに魔女狩りに堕する。しかし、目的はそこにはない。

 当時の責任者を明確にし、この計画が何故こんな事態に陥ったのかを責任者本人の口から説明させ、今後二度とこのような事態が起こらないよう、その試金石とするためである。

 この数週間の間、「もしかしてあの頃の責任者か?」という何人かが報道のインタビューを受け、皆が一様に「私は知らない」と繰り返した。あれは全くもって電波の無駄遣いである。公共の場で、仮に本当は何もかも知っていたとしても「はい、知ってました。私のせいです」などと言う訳がない。だからこそ、知事が都庁の最高責任者として、「徹底調査せよ」と命を下した事で、ようやく事態が動き出したのである。

 が、それはそれでいいと思う。今後の都政のために、責任の所在が明らかになり、改善策を取る基礎となりさえすればよいからである。

 

 数日前だったと思うが、NHKの解説者がこの問題について説明していた時、こんな事を言っていた。

「役所の体質として、会議等の『その場の雰囲気』というものがあって、内心それはマズいのでは?と思っている人が存在しても、言えなかったという可能性がありはしないか?」

 私も日本の会議の体質から考えて、それは大いにあり得ると思う。

 さらに解説者はこう言っていた。

「だとすれば、戦前に『これはマズいのでは?』と思っていた人々が少なからずいたにも関わらず、『その場の雰囲気』に逆らえずに意見が言えず、結果太平洋戦争に突き進んでしまった時と、何ら変わらないではないか」

 その通りである。

 もし彼の推測が正しく、会議の雰囲気に押し潰されて「ちょっと待って下さい」の一言が言えなかったのだとしたら、正に事は戦前のこの国の事態と同じである。

 今のこの21世紀に、しかも食品を扱う市場の移転という重要な計画の際に、戦前と同じ空気だったというのでは話にならない。

 事が食の安全だけに、「雰囲気のせいで正論を言えなかった」とか、「それが日本の会議、ひいては日本人の体質だから」という体質論に逃げられても困る。仮に役人の本音としてそういった気持ちがあるのなら……。

 言語道断である。

 

 最悪なのは、今後「本当に徹底調査した結果、責任者が不在だった」という報告が出るケースである。

 これは実はあり得る話で、役所の各セクション、各人が、「自分の仕事さえしていればよい」という、昔からよく言われる「お役所仕事」で作業をし、結果、誰も自覚のないままに「無責任な作業の集合体」としてあの計画が出来上がってしまった可能性もないとはいえない。

 この場合、それこそこのところ知事が口を酸っぱくして言っている「役所の体質改善と透明性の確保」が急務だし、仮に「責任者不在」の調査結果に落ち着いたとしても、だったら当時の最高責任者、すなわち元都知事を務めていた石原慎太郎氏が都庁の長として責任を取るべきだろう。たとえ彼の言う通り本当に「知らなかった」としても、だ。それがこの国の「責任の取り方」である。

 都議会についても、今頃になって都知事に対してあれこれデータを出してさも「一体どうなってるんだ」的な質問をしているが、あれは本当に見苦しいし本末転倒で、問題がこうなる以前に、都議会としてあの計画に対するチェック機能が何故働かなかったのか、その点が全くおろそかにされているばかりか、今調べたらあれこれ出てくるくらいなら、何故もっと何年も前にそれをしなかったのか、都議会が自らの無能を露呈しているに過ぎないではないか。

 問題点が明確になればなるほど、開いた口が塞がらない日々が続いている。

 

 という事を、食事をしながら憤慨して同居女子に説明していたら、何ともぼんやりした返事が返ってきた。

「へえ、そうなの?」

 彼女はどうもこういうぼんやりしている面があり、ニュースを見ているのに上の空で、私に言われるまでちっとも社会の事を把握していない場合がある。

 この時も何だかぼーっとしていたので、私は彼女に言ってやった。

「もっと怒りなさい」

「なんで?」

「あなたは毎晩必ずといっていいほど焼き鮭を食べるでしょう」

「うん。食べるよ。今も食べてる」

「その鮭だって、『もしかしたら安全じゃないかもしれない豊洲市場』を経由して、我が家に届いちゃうトコだったんだぞ、危うくな」

「えっ、マジで?」

 責任追及が始まったのが「ようやく」なら、我が家の彼女もまた「ようやく」である。

 いろいろな事が腑に落ちたらしいのだ。

「冗談じゃない!焼き鮭に毒が入るかもしれないなんて!」

「そこまでは言ってないよ。それはちょっと怒りすぎだ」

「責任者は誰だったのよ!許せない!」

 だいぶタイミングがズレてはいるが、これが一般都民、さらには築地市場から届く食品を食べている首都圏の人々の、ごく一般的な、当たり前の反応なのである。

 ちなみに、上の信号の写真はわざとUPしてみた。

「赤の人」、つまりレッドカードの人は、矢印の方へ行ってください。

 その赤い人、すなわち当時責任のあった者、あるいは、現在なお責任のある者としてしかるべき対応をお願いします、という意味である。

 

 この際、オリンピック関連施設の建設スケジュール云々はどうでもよろしい。

 それは、それこそ都の役人と組織委員会が石にかじりついてでも何とかすべき問題である。彼らはその為に給料を貰っている。しかも、その給料の出所は我々都民の納める税金である。

 

 小池都知事のさらなる「問題追及」に期待するとともに。

 役人と都議会に猛省を促す。

 

 我々は怒っているのである。