§6.芸術家の視点③ | 適当な事も言ってみた。

適当な事も言ってみた。

~まあそれはそれとした話として~

答えは、「全感覚」である。

芸術家の仕事とは、「美しいもの」を作ることである。
故に芸術家は「美しいもの」について詳しくなければならず、いきおい芸術家は
「美しいもの」を感知することに特化した感覚を鍛える必要がある。

では、「美しいもの」とは何なのか。

「美味しいもの」がどんなものかは、大体何となく解る。
「きれいなもの」は、「美味しいもの」より少し曖昧だが、解る気がする。
「面白いもの」は、「きれいなもの」より更に曖昧になるが、解る気がしないでもない。
「美しいもの」…これは一体何なのだろう。

そう考えずにはおれないほどこの言葉の指すものは、その輪郭があまりにも曖昧である。
今日では、大体そういうものは「人それぞれ」という、無慈悲な言葉で片付けられてしまうことが多い。
しかし、一見寛容なこの言葉の源泉は
「自分は自分、他人は他人。大事なのは自分であって、他人はどうでも良い」
という観点にあるのではないだろうか。

確かに、他人にそれほど関心を持っていられる程、今の世の中は緩くはない。
生き馬の目を抜き、他人を出し抜き、欺き欺かれて、人は生きている。
渦巻く人の海の中にいて、孤独を感じる時代なのである。
ときたまそういうことを嘆いてみせても、金銭的な縛りが緩むことはなく、
金の切れ目が縁の切れ目、地獄の沙汰も金次第。 他人のことになんて目を向ける余裕もない。

だから、誰が何を言おうと勝手。ただし自分には迷惑をかけないでほしい。
「人それぞれだ」という言葉の根底にある意識は、こういう諦観からくるものではないか。

「人なんてどうせ解りあえっこない」
という失望から来る諦観である。

しかしこの諦観は
『消費することが幸福への道である』という価値基準に依拠したものなのではないだろうか。
即ち、「受け取る側」の観点である。