§6.芸術家の視点② | 適当な事も言ってみた。

適当な事も言ってみた。

~まあそれはそれとした話として~

何故、そうまでして芸術家は「誠実(客観的)な視点」で自他を見つめなければならないのか。
それが「新しい切り口」とどのような関係があるのか。

 それは、世界中に無数に存在する「見えざるもの」を見い出す目を養う必要があるからである。
そして、「新しい切り口」とは、その「見えざるもの」の存在をを証明する窓だからである。
 我々の”感覚(センス)”というものは、 本来はもっと明敏なものであるにも関わらず、
何も意識しないままでいると、不明瞭であいまいな判断しかもたらさない。

 例えば「美味しい」とか「不味い」といった感覚。

日常生活においての判断はこれで充分かもしれないが、飲食に携わるプロフェッショナルが、
これと同様の感覚ではいられない。
 彼らは何かを口にするとき、五感を総動員して、その出来不出来を解析するはずである。
言うまでもなく、彼らの本質的な感覚は、一般の人間となんら変わることはない。
だが、感覚を研ぎすます訓練を経て、彼らの感覚は極めて敏感になり、
微細な差異も感じとれるほどになるのである。

 料理人にとっての仕事とは、先ず「美味しいものを作る」ということであるとすれば、
料理人は「美味しいもの」について詳しいはずである。何も悪食の料理人がいてはいけない、
というわけではないが、それは例外(論外)である。

 これが「画家」であれば、先ず研ぎすますべき感覚は「視覚」にあるだろう。
色彩、形態、構図のバランス感覚。この感覚を鍛える為に、画家は素描する。
やってみれば解るが、”そっくり”に描こうとしても、最初はなかなか”そっくり”にならない。
素描の第一歩は、自分がどれだけぼんやりとものを観ていたかを自覚することから始まる。

では、プロフェッショナルな「芸術家」が鍛えるべき感覚とは何であろうか。