☆何処までも清浄で無垢、極めて愉快で平和だ」という彼の国からの声を聞くだけでいい。
教行信証の読み下し分と訳文――その308☆そこに生まれたいと強く望む者や既に生まれた者は、正式に確約されたグループの一員となる。○読み下し分 『顕浄土真実教文類二』その288281頁7行目の初めから282頁1行目の終わりまで 『浄土論』(論註)に曰わく、「荘厳妙声功徳成就」は、「偈」に「梵声悟深遠 微妙聞十方」のゆえにと言えりと。これいかんぞ不思議なるや。『経』に言わく、「もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなわち正定聚に入る。」これはこれ国土の名字仏事をなす、いずくんぞ思議すべきや、と。(聖教電子化研究会より引用)○訳文(鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳親鸞『教行信証』・東本願寺出版より引用) その277210頁下から11行目から211頁上から3行目まで『〈清浄な国土〉の論説』には以下のようにある。 〈清浄な国土〉に響き亘る妙なる声という価値の完成につい ては、次の詩がある。 崇高な、声の趣き、深淵に、 妙なる調べ、十方超えてこの価値の完成が人知を超えている理由は何か? 『経典』にはこうある。「何処までも清浄で無垢、極めて愉快で平和だ」という 彼の国からの声を聞くだけで、そこに生まれたいと強く望む者、あるいは既に生まれた者は、正式に確約されたグループの一員となるのだ。 これは、その国の名そのものが覚った方の働きを見事なまでに具現しているからだ。これを世間の人がどうして理解できようか?辞書から大経(だいきょう)=天台宗では大般涅槃経、浄土教の諸宗では無量寿経をいう。無量寿如来会=二巻。菩提流志訳。『大宝積経』四十九会の第五会(第一七、一八巻)に相当。訳出時期は七〇六〜七一三年。『無量寿経』の異訳の一。「無量寿如来会」あるいは「如来会」と略される。会座の菩薩について詳説し、その八相示現を説くのは『無量寿経』と本経のみである。☆Comment これは信の世界です。ぼくは信の世界にいませんから、よく分かりません。ぼくの母は仏教徒でした。家庭をもち、母親になりながらも、晩年にはついに得道しました。ようやく念願を果たしたのでしょう。 その母が体を悪くして入院したときにお見舞いに行きました。「元気がないね」、と言うと、「あなたが来てくれないから」と母はつぶやきました。仏様は来てくれないのかね、とは、ぼくは尋ねませんでした。 (この項つづく)(メルマガ・2022年9月14日)http://www.mag2.com/m/0000163957.htm掲載記事の無断転載を禁じます。Copyright(C) Tonooka-Hideaki