☆移行対象による受けとめが期待できるとき、イノセンスの解体をもたらしうるといえるかもしれない。
『宿業の思想を越えて 吉本隆明の親鸞』 芹沢俊介著 第75回☆子どもの言語の高度化と広がりは、乳房からの遠隔化のプロセスのなかに現れる。書きながら次のような思念が頭の隅をよぎる。子どもの無意識の 核に避けがたくつけられた傷、言い換えれば埋め込まれたイノセン スを解体するもう一つの道筋が見えてくるようにも思える。移行現象・移行対象として記述される遊びは、イノセンスの表出の機会で あり、同時に移行対象による受けとめが期待できるようになったと き、それは子どもにイノセンスの解体をもたらしうるというようにいえるかもしれないという思念が。言語の話に戻すと、ウィニコットのいうこうした移行現象・移行 対象は言語の指示表出に急激な高度化と広がりをもたらすもので はないか。言語は移行現象としても記述できるであろう。とりわけ 指示表出の高度化と広がりを子ども自身の自由なふるまいにおい て、自律的に子どもにもたらすものとして。指示表出の高度化と広 がりは乳房の女性的役割を核に、乳房からの遠隔化のプロセスのな かに現れる、そんなふうに思える。移行現象・移行対象は遊びであり、本能に発するものではなく、 〈ある〉の形成において乳房とのたわむれを体験し、その体験が子ど もにもたらした自由空間に属している。繰り返せば、言語の自己表 出と指示表出の基礎と発達は乳房の〈ある〉をつくる側面にかかっ ているのであって、〈おこなう=する〉には本質的に無縁なのである。(134~135頁)(辞書から)イノセンス=1 無実。無罪。2 天真爛漫 (てんしんらんまん) 。無邪気。移行対象=ウィニコット,D.Wが提唱した概念です。移行期と呼ばれる1~3歳頃に、肌身離さず持っている客観的な存在物で、特に不安が高まったときなどに抱きしめたり握り締めたりする愛着対象のこと。具体的には、ぬいぐるみ・毛布・タオルなどがその対象となる。移行現象=幼児側から自分以外の対象を個人パターンに織り込んでいく傾向が現れる。指しゃぶりの様な自体愛的体験と組み合わさり、機能的体験(シーツや毛布をつかみ指と一緒に口へ入れる、口をもぐもぐさせる)が見られ、考えることや空想することが結びついてくる。☆Comment 母の乳首と乳房は乳児のぼくの移行対象であった。母の乳首からお乳が出なくなっていて、歩けるようになったぼくは、お乳をなめたがった。たぶんそれ以上においしいものはなかったとおもう。お乳が出ないのに、ぼくは乳首をなめたがった。歩けるようになってもなめていた。しかし、母はもうおしまいにしようね、とよく言っていた。そして乳首をなめてから次になめられるまでの間隔が次第に長くなり、ついに「もうおしまいね。」と言われてしまった。さびしかった。幼児のぼくは母の乳首に代わるものをもとめて、こころはさまよいだした。そして庭でひとりで何かを空想するようになっていった。ぼくの空想遊びは、母の乳房と遊ぶ機会を失うなかで、その空白を満たそうとして幼い心が編み出したものだと、今になって気づいたのだ。(メルマガ・2022年11月18日)http://www.mag2.com/m/0000163957.htm掲載記事の無断転載を禁じます。Copyright(C) Tonooka-Hideaki(http://1wain.seesaa.net/=詩とファンタジーのレシピ)(http://mypage.ameba.jp/=キングヒデアキのブログ)