104人の大和魂 ➁ 質素倹約・大奥リストラ 飢餓対策 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 吉宗は自身の食事を1汁1菜にするなど、

率先垂範して、質素倹約に務めた。ひな人形

の寸法も制限するなど、相当な徹底ぶりだった。

当然、大奥にも手を入れた。大奥は将軍の子が

絶えないようにするための制度であった。将軍

お目見えの上臈御年寄から御広座敷まで15段階

にランキングされていた。最盛期には3000人

の女が仕えていた。吉宗が将軍に就いた時には、

約400人程度だった。3代将軍家光以降、13人

の正室は、4人しか子を産んでいない。しかも4

人とも早世しており、最高でも13歳までしか

生きていない。

 女性は、白ければ白いほど美人に見えるという

風潮があり、乳房にも白粉を塗ったという。その

ため、白粉に含まれる水銀が将軍家の子の早死に

つながったと考えられる。正室には、身分が高い

皇族や公家の姫君が多く、子を生む体力がない

女性が多かった。そのため、体力のある民間女性

を大奥に仕えさせたのである。正室、側室も

すべて、30歳になったら将軍との夜のお相手

を辞退するという「御褥御免=おしとねごめん」

という年齢制限が設けられていた。

 吉宗は、一方でハレ(非日常)も大切にした。

飛鳥山をアミューズメントパークにして、遊興の

場所を提供。矢場で弓を射る、土器を投げるなど、

庶民は大いに楽しんだ。出会いの場も設定し、

仮面を付けて踊る者、男装する女子、さまざま工

夫をして交流させた。桜を1300本植え、茶店

を出させ、雇用創出にも気を配った。吉宗自身も

ここで家臣らと酒を酌み交わし、鷹狩もしている。

吉宗は、好奇心が強く、新しもの好きだった。

広南国(ベトナム)から象を連れて来させ、

江戸で象に大行進をさせた。清涼殿の格子を

すべてはずし、中御門天皇に高覧座から見せた。

象が前足を上げて天皇に拝礼すると、「人の国

なる(他国)のけだもの(獣)みるがうれしき」

(江戸名所図会)と天皇が喜んだ様子を伝えている。

1平方キロメートルに6万人が暮らす(現在の4倍)、

世界最大の100万人都市江戸の繁栄を第一に考えた

将軍であった。

吉宗の最大の功績は、甘藷(サツマイモ)の栽培

によって飢餓を救ったことだ。儒学者青木昆陽に

サツマイモを食用として全国に普及させたのである。

栄養価が高く、腹持ちがいい。餓死者が激減した。

薩摩の船乗りが琉球から持ち帰ったことがきっかけ

となったので、ネーミングされた。