104人の大和魂 No.23 足利尊氏 室町幕府樹立 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 尊氏は、建武3年(1336)5月、

光厳上皇の院宣を盾に京都に攻め上り、

「湊川の戦い」で朝廷軍を撃破する。

日本史上唯一の錦旗を掲げた「天皇」軍に勝利。

但し、尊氏は上皇を旗印にしている

ので、武家と天皇家の戦いではない。尊氏は、

すかさず後醍醐天皇から三種の神器

(鏡、剣、玉) を取り上げ、光明天

皇に託し、即位させている。そして、

「建武式目」を制定し、事実上の室町

幕府をスタートさせた。鎌倉時代の

「御成敗式目」と同様に室町幕府が

支配する法的根拠を示したのである。
17の条文は、聖徳太子の17条の

憲法を真似たものだ。政道は、居所

ではなく、為政者の良し悪しで決まる

とし、北条得宗家専制以前の義時、

泰時時代を理想とした。室町幕府を

鎌倉幕府の正当な後継であると位置

づけている。幕府を鎌倉に置くべきだ

という意見を退け、京都御所に隣接し

た場所に設けた。朝廷の一角に幕府

を構えることで、政庁の一部門とした。

「幕府」のような一時的な存在では

ないと主張。又、為政者とは、万人

の愁いを休めることだと幕府の役割

を明記したことは、イノベーション

として評価できる。ところが、

後醍醐天皇が渡した三種の神器

(鏡=正直、玉=慈悲、剣=知恵)は、

いずれも偽モノだとして、自身を正当

な天皇だと主張。このため、後醍醐天

皇が南朝、光明天皇を北朝とする、 

我が国初の南北が並立する南北朝

時代に突入。
暦応元年(1338)、尊氏が征夷

大将軍に就くも南北は統一されず、

1392年義満の時代まで2人の

天皇が並ぶ時代が続いた。さすがの

尊氏も後醍醐天皇の命を奪うような

ことはしていない。「大本家」を

滅ぼすことは、絶対にしてはいけ

ないという認識はもっていた。

軍記書・梅松論は、尊氏を

「笑みをたたえ、死を恐れない

将軍らしい大人物」と評価している。