104人の大和魂 Q.12 紫  式 部  前編 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 源氏物語は、世界最古の長編小説とされ、

日本文学史上最高傑作と最大級の評価が

なされている。初出は、1008年。注釈書には、

題名が記されていないケースが多い。「源氏の物語」、

「源氏の君」、「紫のゆかり」等の題名で扱われ

ており、後世に題名が付けられたと考えられる。

我が国では、古来貴人を「光輝く」存在としてと

らえている。「光源氏」という主役の名前は、

そこから来ている。
 54帖約100万文字書かれているので、400字

詰め原稿用紙に換算すると2500枚に上る。約800

首の和歌が詠まれ、心理描写、ストーリー性等非の打ち

どころがない。80年間に約500人の人物が登場する。

古文には句読点が無いので、頭の中で整理しながら読ま

ないと訳が分からなくなるので、要注意。
 本作品には、「食事」と「入浴」の場面がない。食事は、

本編の恋愛ストーリーと異なり、日常的過ぎて描写が難しい。

又、当時は上流階級であっても入浴の習慣がないために書く

ことができなかった。
飯は、半搗き米を蒸したもので、牛、馬などの肉食は仏教

の教えによって控え、動物性たんぱく質は魚貝の干し物から

摂っていた。生鮮食品も少なく、派手さがなく、小説に描き

づらかった。夏は水浴や水拭きをしたが、冬は水蒸気浴をし

た程度で、肌は不潔で臭かった。この時代は、室内の樋箱に

用便をするので、とにかく臭かった。色恋の物語の中に、

みすぼらしい食事や室内が匂う話はさすがに描けなかったと

思われる。正倉院には、下級僧の「衣が汗臭く、食事は質量

ともに乏しい」という記録が残る。
 作品は、3部構成になっている。1部(桐壺の帖から藤浦葉

の帖までの33帖)。冒頭、桐壺(継母)との間にできた子が

父桐壺帝の子として育てられるようなことが描かれる。恋愛は、

葵の上との結婚、空蝉、末摘花、六条御息所等。美男美女揃い

の中で、唯一醜い末摘花とのやり取りがある。不美人であっても

恋愛はできるという作者のメツセージとも取れる。六条御息所が

嫉妬に狂い、生霊となって現れ、正妻の葵の上、夕顔を呪い殺す

場面がある。現代では、生霊の現象は見られないが、当時は不

思議がられていない。非常に興味深い場面である。
 政敵である、右大臣の娘との恋愛関係が発覚し、源氏は

明石に左遷される。そこで、明石の君との出会いがあった。

やがて都に復帰。源氏と藤壺との子が帝になると大きな勢力

となる。太上大臣にまで上り詰め、退任後は退位した帝に

匹敵する待遇を受ける。この世の春を謳歌する。
2部(34帖~41帖)は、実兄朱雀院の愛娘・女三の宮を

正妻として迎えざるを得なくなる。結果、正妻格の紫の上は

病に伏せるようになる。源氏の運命が下り坂になっていく。

女三の宮は、源氏の留守中に忍び込んだ柏木と言う青年の子を

身ごもる。藤壺との過ちの復讐を受けた。きちんと因果を物

語っている。病で臥せっていた、三の宮が亡くなる。源氏は、

出家する決意を固める。最後の「雲隠れの帖」は、題名のみで

本文がない。源氏の最期は、読者の想像に委ねるようになって

いる。
3部(42帖~54帖)は、源氏の末っ子の薫、外孫の匂い

の宮、源氏の弟の三女浮舟が光源氏亡き後の主人公になる。
薫は、浮舟を宇治に囲う。そこに三宮が現れ、浮舟と契り

を結ぶ。そのことが発覚し、浮舟は自殺を図るが果たせず、

僧都に救われる。浮舟は、仏道を求めて出家するというラ

ストで物語が終わる。愛欲を繰り返し、罪を作らないため

には、出家以外にない。「因果応報」のテーマを訴えて、

物語は終わる。未だに入試問題に採用されているのは、

文学上の傑作だけに留まらず、日常生活の歴史的資料と

しての価値が高いからだろう。豊富な語彙力に漢籍の

深さが分かる。
 竹取物語、宇津保物語の方が早く世に出たという指摘が

あるが、元祖長編小説としてナンバーワンの地位は揺るぎない。

紫式部はペンネームで、本名は藤原香子である(権記)。

父は、越後守として都落ちしている。本人も又、夫に

婚姻後2年余りで先立たれ、「あはれ」を味わっていた。

作中に自身の人生を投影する狙いがあったと考えられる。
 姓氏事典「尊卑分脈」によれば、紫式部は「藤原道長妾云

々」と記されている。当時、紙が高価であったため道長が

支援したことが察せられる。式部を皇后となった長女彰子の

家庭教師に抜擢し、漢籍などの教養を積ませた。「紫式部日記」

には、道長と思われる男性が「一晩中、水鶏のように泣きながら、

そなたの戸口を叩き続けた」と描いた。水鶏は鳴き声が戸を叩く声

に似ているので、求愛の場面に用いられた。式部は魅力ある女性と

して、道長から求愛されたことを記しておきたかったに違いない。
源氏物語のモデルは、一人ではなく、「合成人物」と思われる。

第一は、「源融(みなもとのとおる)、第二は「源高明(みなもと

のたかあきら)」、第三は、「藤原道長」である。
源融は、嵯峨天皇の十ニ男として生を受ける。皇位の継承権がなく、

光源氏と同じ境遇である。又、絶世の美男子と評判だったことも共通項。

さらに「河原の院」と言う邸宅があり、主人公の「六条院」という大き

な建物(庭)を所有している点も共通している。
源高明は、醍醐天皇の十男として生まれ継承権がなく、母親が更衣

(天皇に使える女官)の出で、地方へ左遷されている。同じく共通点が

3つある。
道長は、藤原家出身なので、元々天皇家を直接継ぐことができない。

従って、共通点がないように思われるが、不遇な五男でありながら

「棚ぼた式」に左大臣まで上り詰め、栄華を極めたところが光源氏と

共通している。三女威子の婚儀(二次会)で邸宅に諸公卿らを呼び集

めて祝宴を催した際に詠んだ次の和歌は余りにも有名。
「この世をば  我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも
なしと思へば」
この世は自分(道長)のためにある。望月(満月)のように足り

ないものはないと絶頂期の感慨を詠んだものだ。実は、道長の

「御堂関白記」には和歌を詠んだことだけが記され、当該和歌を

詠んだとは書かれていない。ライバル視されていた、藤原実資が日

記に記したものだ。
左大臣に就いた当初、誰も付いて来るものがなく、式典を一人

で行ったこともあった。挫折から這い上がったことから、この世を

(今夜)、月(つき=幸運)とする「現状に満足している」という

解釈もある。傲慢な解釈もできることから道長本人は日記に記

すことを憚ったと思える。3人の娘を皇后にした「一家三后」は

前代未聞のことであった。思いのほか出世できたのは、姉詮子の

お陰と記していることから、うぬぼれが強いタイプとは思えない。

プレゼントを方々に送る気配りの人であった。
彼は、紫式部の原稿にしばしば目を通したことから、自分(道長)

を作中に投影して欲しいと指示した可能性が高い。又、「源氏物語」

を絶賛した一条天皇を皇后彰子(長女)に足しげく通わせるために

小出し(連載)の格好にしたとも考えられる。