埼玉学検定(2.1)「岩槻城・伝令犬」 戦国時代の16世紀中頃、太田資正(三楽斎)は武蔵岩槻城を 守り、北条方と対抗していた。三楽斎は、たいへんな犬好きな 戦略家であった。 1561年12月、支城の松山城が北条方に包囲された時、日頃 訓練された伝令犬が援軍を岩槻城に知らせた。犬の首に巻かれた 文書は、「白文の陰書」と言われ、水に濡らさなければ文字が浮かんで こないという防蝶書類であった。 Q, この時、援軍要請の文書を何に入れて犬の首に巻いたか? A. 竹筒