親世代(70年代)と決定的に異なるのは、大きく言えば3点あります。

1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した
「標準的な人生モデル」は追求できないということ。

大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。

結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。

2つめは言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。

グーグル(Google)も1998年生まれなんです。グーグル以前とグーグル以降は
人種が違うと思ったほうがよいでしょう。

自分の存在の半分はネットの中で広がりながら他人とつながりを持つこと
になります。そして、その存在を評価される
ことで、自分の居場所が保証される感覚がある。ネット世界から個人がクレジット
(信用と共感)を与えられることに
なるからです。

そういう場がないと、人間というのは安心できない動物なんですね。

グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちのよさからもはや
逃げられないと思います。

3つ目は、最初の2つともに関連しますが、人生の長さ(ライフスパン)が決定的
に異なること。

君たちの世代は平均寿命が2倍(40~50年から80~100年)に延びることになります。

親の世代だったら、普通に高校から大学に進学し、普通に就職してサラリーマンに
なったり公務員になったりするはず
だった子供たちが、そうはなれない未来を予言しています。

普通の人の普通の人生を脅かす次元がやがて起こります。

  2
 2020年に開催される東京五輪。

オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、
閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できる。

不確かな時代を生き抜かなければならない君たちは、どんなチカラを身につけて
おくべきなのか?

 今後10年間、一番大きな変化は、世界の50億人が

スマホでつながることだと言われています。
映像で人類がつながってしまう。言葉の壁を越えて
交流できる日も近い。

そのネットワークに人工知能(AI)がつながること。
つまり、私たちの生活のあちこちでネットとつながった
ロボットがいろんな働きをするようになる。

世界の半分がネット内に建設されるようになると、
君たちは自然と人生の半分をネット内で暮らすよう
になります。

ネットワークが広がれば広がるほど、AIが高度化すれば
するほど、人間がより人間らしくなるほど、人間がより人間
らしくなるはずです。学校の先生の仕事が良い例ではないか
と思います。
どんなにネット上に知識が蓄積されても、その前に立つ
先生の仕事はなくならない。子供たちを動機づけたり、
ときには叱ったり、勇気づけたり人間にしかできない仕事が
ますます大事になってくる。
かなり複雑な判断が求められる仕事までAI×ロボットに
奪われていくだろうと予測されているのです。

経理、銀行窓口、医療事務など、単純な部類の「事務」の
仕事が、なくなる仕事のランキング上位に出てきます。
面白いのは、電車の運転士はかなり早い段階でAI×ロボット
に取って代わられる運命にあるけれど、同じ電車運行でも、
車掌のほうは意外と生き残るだろうという予測もあることです。

最終的な安全確認や電車の運行中に病人が出た時の対応など、
想定外の(予測が難しい)事態への対応は人間に任せたほうが
うまくいくと考えら¥れているからでしょう。

人間として本当に必要な知恵と力を身に着けてほしいと
思うのです。

「AI×ロボット技術」と「人間の知恵」とが掛け合わされる
場所に新しいタイプの人間の仕事の場、「フロンティア」
が開けてきます。
就活においても、首都圏では、
 

私立大学卒業生のメインの就職先だった伸び盛りの中堅・準大手企業に

 
国公立の卒業生 が押し寄せることになるでしょう。
 
  3
2020年代に起こる地殻変動に対して、

強いと思われる職種を2つだけ挙げておきましょう。 それは、観光とプログラミングです。

 
海外旅行を楽しめるほど収入があるアジアの中間層が、現在の数億人から
2030年までに20億から30億人に達するだろうと
試算されているからです。

一方、プログラマーが足りなくなるのは言うまでもありません。
プログラミングを理解しているかどうかは、2020年代
には、かつての「英語をできるかどうか」と同じ意味を
持つことになるでしょう。

 2020年代に若者に厳しい現実が押し寄せるのには、じつは
もう1つ理由があります。社会に対する若者の負担が
増えてしまうという問題です。

土台になるのが基礎的人間力。家庭教育がベースですが、
学校での人間関係や行事を通じての経験、あるいは部活でも
育まれます。

旅やバイトなどさまざまな体験の積み重ねが、忍耐力や精神力、
集中力、持久力などを強化することになります。
1に情報処理力、2に情報編集力が大切です。

情報処理力とは、狭い意味の「基礎学力」のことです。
計算の方法や漢字の書き方など記憶力の勝負になりますね。

正確に「正解」を導けるかどうか、チャッチャッと1人で、
早く正確に処理できる力だから情報処理力と呼んでいます。

中学でも、高校でも、大学でも、受験を経ることで情報処理力
は飛躍的に上がることがあります

情報編集力は、正解がないか、正解が1つではない問題を
解決する力です。

AI×ロボットに事務処理の仕事が取って代わられていくことは
よく知られています。
4
 人間には情報処理力が必要なくなるのでしょうか?

 目の前に問題が出されたとき、その問題を考える力の7割が「情報処理力」、

あとの3割が「情報編集力」だと思ってもらっていいと思います。

たいていの仕事では「処理」的な部分が7割以上で、経理でも、広報でも、営業でも

処理仕事を早く正確にこなせるのが仕事のできる人の必要条件になります。

あとの3割は、「正解」が1つではない課題に対してどんなアプローチができるのか?
どれだけ納得できる解を導けるかの勝負です。これが仕事のできる人の十分条件。
情報編集力側の力です。

会社や役所のすべての処理仕事がAI×ロボットに置き換わったとしても、そのAI×
ロボットに仕事を命じ、彼らをパートナーとして働く君たちは、相変わらず
「考える」作業が欠かせないはずです。

情報処理力が必要なくなることはないと思うのです。

学ぶ場は必ずしも学校だけではなくなるけれど、情報処理力を鍛えることは
相変わらず大事だということ。

やはり「学力」は高いほうがいい。

全国での自分の学力の位置を表す「偏差値」という指標も、低いよりは高いほうが
いいでしょう。

基礎知識がないと視点が低いままになりますから、目の前に障害物があると向こう
まで見通せません。

また、どっちの方向に自分の人生を振るか、どんな仕事をするかを決めていない
のだったら、まず学力を上げておくしかない。

「情報処理力」プロセスが速く、「時短」が図れれば、これから説明する
「情報編集」のために時間をかけることができる。考えを深め、より納得できる
選択をする余裕ができるんですね。

情報編集力は、正解がないか正解が1つではない問題を解決する力だと述べました。

他人と協働するため、「communication」dと自分自身で考え試行錯誤する

正解を当てるだけなら情報処理力だけで対応できるけれど、正解がどんどんなく
なる成熟社会の問題解決には情報編集力が必須だと理解してください。

出版社が情報を集めて整理・加工しただけでは、やはり本にはならない。

どの業者にこのメッセージを書かせるのか。何を強調すべきか。

どこにグラフやイラストを配置し、どのような表紙をデザインにして売り出すのか。

そのすべてが、通常は「編集者」と呼ばれる人の肩にかかってきます。

正解のない問題に対して試行錯誤しながら「納得解」を作り出す力を、本の編集の
仕事に象徴させて「情報編集力」と名付けました。
4択問題の選択肢は,いつもほかの人が提示してくれるという依存型を生みます。

現実の社会では、この選択肢のことを「仮説」と呼びますが、実際には
「イ、ロ、ハ、二」のすべてを自分で設定する必要が出てきます。
誰かが必ず与えてくれるわけではない。

実社会では、自分で仮説を導きだし、あれこれ試行錯誤しながら問題解決
してくれる人材を求めています。従って、仮説は他人が
与えてくれると思い込んでいるのはちょっとマズイんです。

もう一つの4つの選択肢のなかに、必ず正解があると思い込んでしまうからです。
正解主義の呪縛ですね。
 5
 アタマを柔らかくして、どんどん仮説自体を修正していかなければならない。
これを修正主義と呼びます。

デパートに商品が完成品として並んでいるように、正解が必ずあるという思い込み
で生きているとすれば…ちょっとコワいですよね。

就活で「目指すA社、B社、C社、D社のなかに、自分ピッタリの会社が必ず1社ある。
自分を生かしてくれるベストな会社、つまり
「正解の会社がある」と勘違いしてしまいかねません。

正解な会社なんて、あるわけないじゃあないですか。

入社した会社が自分にとっての正解だなんて思うから、半年もせずに居心地が悪くなって
「あれ、ちっとも正解じゃないじゃない」
ということに。3年以内に3割やめる風潮は、こういうところから来ているわけです。

今度は教員になったつもりで、「走れメロス」を題材に次のような問題の答えを
探してみてください。

問題:
もし、君が教員で、生徒たちの情報処理力側ではなく、情報編集力を鍛える授業を
受け持ったとしたら、どんな授業を仕掛けますか?

正解主義の授業で正解を求めるのではなく、「修正主義」の授業で「納得解」
を求める授業です。

「走れメロス」というのは、完璧な「間に合った」というストーリーですよね。

もしメロスが間に合わなかったとしたら、何が起こっただろうか?…を生徒たちに
考えさせるようにすれば刺激的です。明らかに
正解と思われる常識や前例を疑う「複眼思考」が身に付きそうです。

数年前、愛知県の中学2年生が「メロスは本当に走っていたのか?」を研究した
レポート「メロスの全力を検証」がネット上で大変
話題になりました。
この研究では「メロスは走っていなかった」と結論づけているのですが、
実社会が必要としているのは、このような常識、前例、
決まり事、風評、神話に疑問を持って、根底からそれを疑い、新たな仮説
を提示できる人材です。

社会では、自分で仮説を生み出し、試行錯誤するなかで、問題解決までもっていく
タフな人材が求められているのです