1935年9月26日・第四艦隊事件 | 社長力検定「後継者育成塾」

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第四艦隊事件(だいよんかん

たいじけん)は、1935年(昭和

10年)台風により大日本帝

国海軍(以下日本海軍)

艦艇が被った大規模海難

事故である。

これにより、艦体強度設計に問題があることが

判明し、前年に発生した友鶴事件と共に、後の海軍

艦艇の設計に大きな影響を与えた。

 

すでに台風の接近は報じられていたが、9月26日朝の

気象情報により、午後には艦隊と台風が遭遇すること

が明らかになった。そのため、反転して回避する案も

出されたが、すでに海況は悪化しており、多数の艦の

回頭による接触・衝突も懸念された。また、台風の克服

も訓練上有意義であると判断され、予定通りに航行を

続けた。主力部隊は台風の中心に入り、最低気圧

960mbarと最大風速34.5m/sを観測、右半円に入った

水雷戦隊は36m/sを記録し、波高20mに達する大波

三角波)が発生した。その結果、転覆・沈没艦は無

かったものの、参加艦艇(41隻)の約半数(19隻)が

何らかの損傷を受けた。

特に最新鋭の吹雪型(特型)駆逐艦2隻は波浪により

艦橋付近から前の艦首部分が切断されるという甚大

な被害を受けた。なおこの際、初雪の艦首を発見した

那智は、曳航を試みるものの高波のため断念、更に

この中には暗号解読表などの機密書類を保管してい

る電信室があり、漂流した結果他国の手に渡ってしま

う事態を回避するため、やむなく艦首部内の生存者

ごと艦砲射撃で沈めている。