1936年9月19日・漢口邦人巡査射殺事件 | 社長力検定「後継者育成塾」

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漢口邦人巡査射殺事件(かん/はんこうほうじん

じゅんさしゃさつじけん)は1936年9月19日

中華民国湖北省漢口で発生した日本人領事館

警察官殺害事件。漢口事件とも呼ばれる。

当時、朝鮮半島が日本の領土であったため、

中国は文字通りの隣国であった。

日本は、中国共産党の謀略によって、国境警備

近辺の防御を壊され、日中戦争の泥沼に引きずりこま

れていった。

もう一つの問題は、「統帥権」は天皇にあったことだ。

その都度指示を仰ぐ時間もない為、陸軍が独自の

判断をせざるを得なかった。

従い、「暴走」と取られる事件が結果的に起きた。

事件概要

 
中国側には責任はないと主張した揚永泰湖北省主席

1936年9月19日午前11時半、漢口日本租界zh

河街大正街(バンド下端租界境界線)にある日本

総領事館第9号見張所に立番中の吉岡庭二郎巡査

長崎県出身)は、日本租界に隣接するスタンダード・

オイル社前の道路から7~9mほど入ったところの煙

草屋で店主と談話していた。河下からやってきた

37、8才の中国人が隠し持っていた拳銃で至近距離

から吉岡巡査の左頚部を狙撃したため、巡査は即

死した。

事件直後に日本総領事館から揚永泰州政府主席と呉

市長に対して事件の通知と犯人逮捕捜査の要請がなさ

れた。9月22日三浦義秋総領事と揚永泰州政府主

席との間で会談が行われた。三浦総領事からは中山

水兵射殺事件を始めとする一連のテロ事件が本事件の

導因となったことなどから中国側の責任が指摘された。

揚永泰は犯人捜査には協力するが事件は日本租界内で

起きたことであるとして中国側の責任はないと応じた。

これに対し、三浦総領事からは中国巡警が巡察してい

る場所で事件が起きており、中国当該地の外国企業か

ら課金していることなどから中国に責任があるとする指

摘が改めてなされた。

全面衝突へ

 
上海に停泊する第三艦隊出雲

9月23日には上海共同租界で上陸散歩中

第三艦隊旗艦出雲乗組員の水兵4名が

4、5名の中国人により銃撃され死傷する

上海日本人水兵狙撃事件が起きた。

日本海軍第三艦隊は日本人居留民保護の

ために3個大隊の陸戦隊を租界に緊急派遣した。

9月24日、蒋介石何応欽軍政部長に臨戦態勢

を取るよう電令し、呉鉄城上海市長に「積極戒備」

を命令した。

10月5日、蒋介石行政院長川越茂大使との会談

が行われたが日中間の懸案は解決されなかったが

蒋介石から日中友好の力説がなされた。

12月12日、西安事件によって監禁された蒋介石は、

中国共産党への攻撃を止め対日政策を変更した。

1937年になると華北では盧溝橋事件郎坊事件

広安門事件通州事件などで日本軍や日本人居

留民への襲撃が続発した。上海では大山中尉殺害

事件に続く、第二次上海事変が始まり、ついに日中

全面戦争に発展した。