漢口邦人巡査射殺事件(かん/はんこうほうじん
警察官殺害事件。漢口事件とも呼ばれる。
当時、朝鮮半島が日本の領土であったため、
中国は文字通りの隣国であった。
日本は、中国共産党の謀略によって、国境警備
近辺の防御を壊され、日中戦争の泥沼に引きずりこま
れていった。
もう一つの問題は、「統帥権」は天皇にあったことだ。
その都度指示を仰ぐ時間もない為、陸軍が独自の
判断をせざるを得なかった。
従い、「暴走」と取られる事件が結果的に起きた。
事件概要
オイル社前の道路から7~9mほど入ったところの煙
草屋で店主と談話していた。河下からやってきた
37、8才の中国人が隠し持っていた拳銃で至近距離
から吉岡巡査の左頚部を狙撃したため、巡査は即
死した。
事件直後に日本総領事館から揚永泰州政府主席と呉
市長に対して事件の通知と犯人逮捕捜査の要請がなさ
席との間で会談が行われた。三浦総領事からは中山
水兵射殺事件を始めとする一連のテロ事件が本事件の
導因となったことなどから中国側の責任が指摘された。
揚永泰は犯人捜査には協力するが事件は日本租界内で
起きたことであるとして中国側の責任はないと応じた。
これに対し、三浦総領事からは中国巡警が巡察してい
る場所で事件が起きており、中国当該地の外国企業か
ら課金していることなどから中国に責任があるとする指
摘が改めてなされた。
全面衝突へ
4、5名の中国人により銃撃され死傷する
上海日本人水兵狙撃事件が起きた。
日本海軍第三艦隊は日本人居留民保護の
ために3個大隊の陸戦隊を租界に緊急派遣した。
を命令した。
が行われたが日中間の懸案は解決されなかったが
蒋介石から日中友好の力説がなされた。
12月12日、西安事件によって監禁された蒋介石は、
中国共産党への攻撃を止め対日政策を変更した。
全面戦争に発展した。