平新艇事件・1966年9月17日 | 社長力検定「後継者育成塾」

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平新艇事件(へいしんていじけん)は、1966年

北朝鮮漁船亡命を求めて日本密航した

事件である。日本は、南北朝鮮の対立に巻き込

まれるなどの影響を受けた。

 

1966年9月7日正午頃

北朝鮮の新義州にある

新義州水産事業所所属

の底引漁船「平新艇4-034号」

(146トン)が僚船の「平新艇

4-033号」とともに北朝鮮近海

黄海に出漁した。

「平新艇4-034号」(以下、

平新艇)には20人が乗船して

おり、水産高校の生徒4人に

漁船の乗員13人、朝鮮労働党

党員と北朝鮮政府係員2人も

乗船していた。また北朝鮮の漁

船は民兵組織であるため武装

していた。

 

日本への密航は、途中で海上保安庁に発見

されることはなかった。9月17日山口県

下関市竹崎町の岸壁に接岸、下関海上保安

署に自首してきた。海上保安庁で叛乱の事実

を告げたため、海上保安庁が平新艇を捜索し

たところ、船長室は血まみれで弾痕があった。

またソ連自動小銃2丁、小銃2丁、軽機関銃

1丁、弾丸1000発以上もあった。そのため海上

保安庁は船員を密入国と銃刀法違反容疑など

で逮捕した。

4人が亡命しようとした理由であるが、首謀者の一人は

兄弟が親日的であるとして北朝鮮政府に処刑されたと主張し

ていた。また副船長の親族が偶然にも下関にある韓国領事

に勤めていた。さらに甲板員の一人は北朝鮮国籍であっ

たが、北京出身の中国人であった。

法務省は、首謀者の亡命を未承認国の国民

の為、強制退去させる事にした。しかし、

どの国に強制退去させるかについて政治的

判断を必要とした。9月20日、4人は韓国への

亡命を希望するようになっていた。。

結局、首謀者4人について殺人や密航については起訴猶予となり

残りの9人については不起訴処分になった。また船体と船員の返

還にソ連が仲介するとの申し入れがあった。最終的に外務省は

4人を国外退去として韓国への移送を認めた。残りの船員と船体

をソ連の仲介で引き渡すことに決定した。

韓国への亡命が成就した4人は、韓国では住居

が斡旋されたほか、金銭の提供や働き口の紹介

をうけるなど大歓迎された。また一連の殺人行為

などについてはやむを得ぬ事情として理解された。