1945年(昭和20年)8月26日・大東亜省廃止 | 社長力検定「後継者育成塾」

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役職
大臣 青木一男 (初代)
重光葵 (最後)
概要
設置 1942年 (昭和17年)11月1日
廃止 1945年 (昭和20年)8月26日
前身

拓務省興亜院対満事務局

外務省東亜局南洋局

大東亜省(だいとうあしょう)は、戦時中1942年

(昭和17年)から1945年 (昭和20年)にかけて設置

されていた日本 の省庁。委任統治領 、及び占領地

域の統治を業務とした。

概説

大東亜省は、東條英機 内閣によって、1942年

昭和 17年)11月1日 に設置された。大東亜省は、

拓務省 を他省庁(興亜院対満事務局外務省

東亜局 及び南洋局 )とともに一元化された組織で

ある。官房、参事、総務局、満洲事務局支那事

務局及び南方事務局 によって構成されていた。

当初構想されていたのは、大東亜共栄圏 諸国を

他の外国とは別扱いとして外務省の管轄から分

離させることにより、大日本帝国(日本)の対アジ

ア・太平洋地域政策の中心に据えることであった。

モデルとされたのは、イギリスにおけるインド植民

省であった。

大東亜省の設置の際、外務大臣東郷茂徳

抗議して辞任している。東郷は、その設置が「二

元外交」を招くとともに、上記地域の植民地 支配を

日本が画策しているという誤ったメッセージとしてア

ジア諸国や敵国(連合国 )から受け取られかねない

ことを懸念したためである。ちなみに専任の大東亜

大臣は初代の青木一男のみでありその後は外務大

臣が兼務した。

上記目的にて設置されたものの、第二次世界大戦(大

東亜戦争)の戦況が悪化するにつれ大東亜省の存在

意義は当初の理想とはかけ離れたものとなった。

敗戦後の1945年 (昭和20年)8月26日 、大東亜省は

消滅した。

大東亜大臣一覧

大東亜大臣(大東亜省)
1 青木一男 東條内閣 1942年11月1日-1944年7月22日
大東亜大臣(大東亜省)・外務大臣
2 重光葵 小磯内閣 1944年7月22日-1945年4月7日
3 鈴木貫太郎 鈴木(貫)内閣 1945年4月7日-1945年4月9日
4 東郷茂徳 鈴木(貫)内閣 1945年4月9日-1945年8月17日
5 重光葵 東久邇宮内閣 1945年8月17日-1945年8月25日