(昭和17年)から1945年 (昭和20年)にかけて設置
域の統治を業務とした。
概説
務局及び南方事務局 によって構成されていた。
当初構想されていたのは、大東亜共栄圏 諸国を
他の外国とは別扱いとして外務省の管轄から分
離させることにより、大日本帝国(日本)の対アジ
ア・太平洋地域政策の中心に据えることであった。
モデルとされたのは、イギリスにおけるインド植民
省であった。
大東亜省の設置の際、外務大臣東郷茂徳 は
抗議して辞任している。東郷は、その設置が「二
元外交」を招くとともに、上記地域の植民地 支配を
日本が画策しているという誤ったメッセージとしてア
ジア諸国や敵国(連合国 )から受け取られかねない
ことを懸念したためである。ちなみに専任の大東亜
大臣は初代の青木一男のみでありその後は外務大
臣が兼務した。
上記目的にて設置されたものの、第二次世界大戦(大
東亜戦争)の戦況が悪化するにつれ大東亜省の存在
意義は当初の理想とはかけ離れたものとなった。
消滅した。