日本は、ソ連が1926年から41年までに周辺15カ国と
不可侵、中立条約を結び、そのうちナチス・ドイツをのぞく
13カ国との条約を破り侵攻した事実を把握していなかった。
国際連盟脱退以来、世界から孤立して情報音痴に陥って
いたといえる。
こうした分析力の乏しさは45年4月5日、ソ連が中立条約
の不延長を通告しても「あと1年間は有効」と希望的観測を
募らせ、条約を破って侵攻される14カ国目となる悲劇を招いた。
ソ連が仕掛けた偽装工作も巧みだったといえる。ソ連仲介和
平を真剣に考えていた東郷茂徳外相らは、モスクワでの日本
大使館に対する姿勢、またドイツ降伏後、欧州に残された約
150人の日本人を誠実に協力してベルリンからシベリア鉄道
で帰国させたことなどから、ソ連は中立条約を順守し、米英と
の仲介の労をとると誤認していた。
最後に宣戦布告という大どんでん返しを受けることになる。
元外務省主任分析官の佐藤優氏は「ソ連は在欧州日本人の
帰国という小さな案件で信用させ、対日参戦という陰謀を隠した。
小さいことで信用させ、最後に一回大きくだますのはインテリ
ジェンス交渉術でよく使われる技法だ」としている。