最高裁判所 判例 | |
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事件名 | 傷害致死、暴行、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、窃盜被告事件 |
事件番号 | 昭和29年(あ)1056 |
1958年(昭和33年)5月28日 | |
判例集 | 刑集12巻8号1718頁 |
裁判要旨 | |
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大法廷 | |
裁判長 | 田中耕太郎 |
陪席裁判官 | 真野毅 小谷勝重 島保 斉藤悠輔 藤田八郎 河村又介 小林俊三 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 高橋潔 |
意見 | |
多数意見 | 田中耕太郎 島保 斉藤悠輔 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 下飯坂潤夫 高橋潔 |
意見 | なし |
反対意見 | 真野毅 小谷勝重 藤田八郎 小林俊三 河村大助 奥野健一(4~6の論点について) |
参照法条 | |
憲法38条2項、3項、刑法60条、刑訴法319条2項 |
練馬事件(ねりまじけん)とは、1951年 (昭和26年)12月26日 に
事件の概要
1951年12月26日午後10時20分頃、警視庁 練馬警察署 旭町駐在所
に「行き倒れがある」との連絡があり、同所勤務の巡査(当時33歳)
が現場に向かった.それ以来連絡が途絶えた。3時間経っても連絡
が無い事を不審に思った巡査の妻が旭町駐在所から最寄の田柄駐
在所に連絡し警察官と共に巡査の行方を追ったところ、翌朝7時頃に
旭町の畑道の脇で撲殺された巡査が発見された。遺体からは所持
していた拳銃が奪われていた。
警察は、同巡査が管内の製紙会社における労働争議 の際に組合員
の不法行為に対する検挙をおこなったことへの報復だと考え、首謀者
と目された日本共産党 北部地区軍事委員長(当時26歳)や製紙会社
の組合員、学生、労務者ら11人を逮捕した。その後の調べで、首謀者
の指示により他の10人が手分けして巡査をおびきだし、行き倒れを
装って畑に横たわっていた1人を巡査が介抱しようとしたところに集団
で襲い掛かり、古鉄管や棒杭などで殴りつけ死亡させたことが判明
した。
1953年4月14日、東京地方裁判所 は被告人のうち10人に懲役3
年から5年の有罪判決(首謀者には懲役5年)、1人に無罪判決を言
い渡した。
有罪判決を受けた10人の被告人は控訴 ・上告 したが、1958年
5月28日最高裁判所 は上告棄却を言い渡し、刑が確定した.。
(上記判例テンプレート参照)。