謙遜とは指摘を受け入れられること | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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謙遜とは指摘を受け入れられること


ダビデ王の汚点はバテシェバ事件である。部下の妻を寝取り、その部下を計画的に殺すという事件であるが、それを預言者に指摘された時に、素直に悔い改めることができた。それも心からである。うわっつらの悔い改めではなく本物の。それが詩篇51篇である。


それと対照的なのが、今日の通読箇所である列王記20章のアハブ王の態度である。


謙遜とは、自分の罪、自分の失敗を素直に認めること!


[列王記 第一 20:41,42,43]

彼は急いで目から包帯を取った。そのとき、イスラエルの王は彼が預言者の一人であることに気づいた。

彼は王に言った。「主はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」

イスラエルの王は不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に戻って行き、サマリアに着いた。


適用

お前に言われたくないよ!と言うような人(自分自身を管理できない人)からの指摘であったとしても、自分の罪、自分の失敗に対して素直に認めることができるように、自分の心をスタンバイしておく。


逆に、指摘しなければならない時ほど、祈らされるが、愛を持って、傷つけないように感謝を伝えて指摘するようにしなければならない。


祈り

私の本当の天のお父さん。あなたの息子、娘が増えます。長く関わってきた娘もいます。どうか1人もかけることなく、洗礼の日まで導いてください。また洗礼はスタートですから、命切れるまで共にいてください。アーメン


JTJ宣教神学校創立者で私の時代の校長先生がゲストでした。感謝!岸義紘牧師