当たり前のことに感謝する心
[民数記 31:49]
モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。
観察
モーセの最後の戦い。この戦いの大勝利のあとは死ぬことが神より告げられていた。最後まで従い抜くということをモーセも教えてくれる。しかし聖書は残念な指導者も赤裸々に書いてあり私への戒めとなる。
私も新会堂へ移る時に、誰1人として欠けないことを宣言し祈って移ることができた。早いもので四年半が経とうとしている。この四年半の間にかけた人が居たとしてもちゃんと全員で移ることができたことは奇跡である。
適用
族長たちは兵士が全員無事という奇跡に感謝をして、自ら進んで捧げ物をした。同じように私たちも自ら進んで感謝の捧げ物をするべきだ。
パウロはいう賛美(感謝、信仰)という唇の果実を主に捧げよう!と。
また、当たり前のことに感謝のできる心を養っていく必要がある。
感謝の反対は当たり前である。
当たり前の人には感動がない。
感動がないということは心が鈍い。
心が鈍いということは人の心が測れない。
感謝の少ない人は高慢である。
つまり、高慢な人は感謝が少ない。
祈り
感謝を選び取り、感謝で進んでいく群れでありますように。感情というものに振り回されることなく、心のハンドリングのできる人へと導いてください。アーメン
ハノイHIFの牧師のジェイコブさん