怒りは神の御心を表すものではない
[民数記 20:11,12]
モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
観察
懲りない面々のイスラエルの民は、水がないことでモーセを責め、神に逆らう。メリバの泉事件である。ここでとばっちりを食うのがモーセとアロンである。
指導者は格別厳しく神が取り扱わられるとパウロを通して神は教えているが、その通りである。
神の命令は岩に命じれば泉が出る。
しかしモーセは民の態度に苛立って、岩を2度打ってしまった。たったそれだけ。大切なのは、良い心で、神の命令に従うということだ。
この失敗によって、アロンはホル山で死んでしまうし、いのいち番で約束の地に入らなければならないモーセでさえ、約束の地を見ることはできたが、入る事はできなかった。やっぱり指導者は格別に厳しく、神様に取り扱われるものなのだ。
適用
怒りをコントロールすること。
神の命令に対して、良い心で行うということ。
人のイラつきは、神様を遠ざける。
怒りは神の御心を表すことができないからだ。
祈り
誤解があったり、人の噂話でへこまされたりするけれども、人を愛するということから離れることなく、愛をいつも前面に出していくことができるように私を整えてください。あくまでも人を愛し赦し、慈しんでいく心を、あなたからいただきたいものです。アーメン