最初見たときは「ダフ」と読むかと思いましたが、全然違うようで。
Deutsch Amerikanische Freundschaft (ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト」
と正式名称は非常に長いわけです。
Y.M.O.やO.M.D.、そしてこのD.A.F.の正式名称も私はすぐ覚えられました。
これは小学生の頃、中国の正式名称を面白がって覚えていたのと似ています。
リビアを覚えたら上級者でした。
名称の話はそろそろ止めにして、D.A.F.の音楽についてです。
私は大所帯のグループから妙に魅力を感じることがあります。
ジャンルはバラバラですが、チューブスやミレニウム、
初期トンプソン・ツインズといったものがそれにあたります。
DAFも初期のころはそれに近く、6人編成でした。
ガビ・デルガド・ロペス ボーカル
ロベルト・ゲアル ドラムス、エレクトロニクス
クルト・ダールケ キーボード
クリスロ・ハース サックス、エレクトロニクス
ミヒャエル・ケムナー ベース
ヴォルフガング・シュペルマンス ギター
DAFの中心メンバーといえば、
ガビ・デルガド・ロペスと、ロベルト・ゲアルという印象があります。
しかしバンドの創設者(そしておそらく中心メンバー)は、
後に脱退するミヒャエル・ケムナーとヴォルフガング・シュペルマンスのようです。
元々1977年にミヒャエルとヴォルフガングが「YOU」というバンドをやっていました。
ミヒャエルは喫茶店を経営していて、そこに通っていたクルトが加入。
1978年にジャズをやっていたロベルトが加入して、ロベルトがクリスロを紹介。
バンド名を「キャプテン・バベット」に変え、
ボーカリストであるガビを加入して、ようやくD.A.F.になるのでした。
つまり後にDAFの顔となるガビは一番最後に入った人になるのです。
しかもファーストアルバムには一時脱退していますし・・・。
1979年には記念すべきファーストアルバム「Produkt Der D.A.F.」が
ワーニング・レコード (後のアタ・タック)から出ています。
普通バンドの顔であるボーカルが抜けるときにアルバムは出さないものに思います。
しかし大切な存在が抜けてでもアルバムを出したかったようです。
代わりに誰かが歌うということはせず、インスト作になっています。
また曲名は一切なく、曲の長さもほとんど二分以内。
音も良いとは言えず、荒削りな作品です。
ロベルトのドラムも、後に聴ける隙の無い演奏ではなく、かなりドタバタしています。
ヴォルフガングのギターはコードやソロを弾いたりするものではなく、
ただ弦を掻き毟る演奏で、彼がバンドの核というのは十分あり得ます。
クルトはコルグのシンセサイザーを使っています。
このアルバムは二つのマイクから録られたもので、おそらく一発録りではないでしょうか。
そのためか、シンセサイザーの音は小さくなっています。
サックスのクリスロはガビと同様、参加していません。
クルトによると、「理由は忘れた」とのことですが、
おそらく他に予定があったから欠席した程度のものでしょう。
この頃はインディーズバンドですし、そういうのは気楽なものだったかと。
Deutsch Amerikanische Freundschaft (ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト」
と正式名称は非常に長いわけです。
Y.M.O.やO.M.D.、そしてこのD.A.F.の正式名称も私はすぐ覚えられました。
これは小学生の頃、中国の正式名称を面白がって覚えていたのと似ています。
リビアを覚えたら上級者でした。
名称の話はそろそろ止めにして、D.A.F.の音楽についてです。
私は大所帯のグループから妙に魅力を感じることがあります。
ジャンルはバラバラですが、チューブスやミレニウム、
初期トンプソン・ツインズといったものがそれにあたります。
DAFも初期のころはそれに近く、6人編成でした。
ガビ・デルガド・ロペス ボーカル
ロベルト・ゲアル ドラムス、エレクトロニクス
クルト・ダールケ キーボード
クリスロ・ハース サックス、エレクトロニクス
ミヒャエル・ケムナー ベース
ヴォルフガング・シュペルマンス ギター
DAFの中心メンバーといえば、
ガビ・デルガド・ロペスと、ロベルト・ゲアルという印象があります。
しかしバンドの創設者(そしておそらく中心メンバー)は、
後に脱退するミヒャエル・ケムナーとヴォルフガング・シュペルマンスのようです。
元々1977年にミヒャエルとヴォルフガングが「YOU」というバンドをやっていました。
ミヒャエルは喫茶店を経営していて、そこに通っていたクルトが加入。
1978年にジャズをやっていたロベルトが加入して、ロベルトがクリスロを紹介。
バンド名を「キャプテン・バベット」に変え、
ボーカリストであるガビを加入して、ようやくD.A.F.になるのでした。
つまり後にDAFの顔となるガビは一番最後に入った人になるのです。
しかもファーストアルバムには一時脱退していますし・・・。
1979年には記念すべきファーストアルバム「Produkt Der D.A.F.」が
ワーニング・レコード (後のアタ・タック)から出ています。
普通バンドの顔であるボーカルが抜けるときにアルバムは出さないものに思います。
しかし大切な存在が抜けてでもアルバムを出したかったようです。
代わりに誰かが歌うということはせず、インスト作になっています。
また曲名は一切なく、曲の長さもほとんど二分以内。
音も良いとは言えず、荒削りな作品です。
ロベルトのドラムも、後に聴ける隙の無い演奏ではなく、かなりドタバタしています。
ヴォルフガングのギターはコードやソロを弾いたりするものではなく、
ただ弦を掻き毟る演奏で、彼がバンドの核というのは十分あり得ます。
クルトはコルグのシンセサイザーを使っています。
このアルバムは二つのマイクから録られたもので、おそらく一発録りではないでしょうか。
そのためか、シンセサイザーの音は小さくなっています。
サックスのクリスロはガビと同様、参加していません。
クルトによると、「理由は忘れた」とのことですが、
おそらく他に予定があったから欠席した程度のものでしょう。
この頃はインディーズバンドですし、そういうのは気楽なものだったかと。


