療育手帳の話① | レット症候群患児の記録と母の戯言

レット症候群患児の記録と母の戯言

マイナーな病気、レット症候群。進行性の神経の病気。何も出来ない娘、そして私。1才程度が成長のピークだった娘の記憶と記録。


療育手帳の話。





手帳の申請を勧められたのは1才5ヶ月
位だったと思う。




ユキと離れるサービスを利用するには手帳が必要でした。




嫌かもしれんけど、この際割り切って取った方がいい、って勧められました。

心理士さんに。



3度目の面談の時、心理士さんと会うようになってから約1ヶ月経っていました。



この頃は病名はつかず、それどころか検査をお願いしても、まだ時ではないと後回しにされ(ボカした。この辺りの事情書くのはまだ時期じゃない。)、病名がつかないから周りに助けを求めることもできず、保健所には捨てられ、でもユキのおかしな行為は日に日に目に付くようになり…


とにかく、追い詰められていました。


この頃、おかしかったユキ、それからおかしい私の側から逃げずにいてくれたのはイトだけでした。
ダンナは仕事、物理的にいないから。





…もう、とにかくダメでした。

もう…ホントに。




療育手帳取得で、福岡では障害児と少しでも離れることができる制度があることを教えてもらいました。

日中一時支援




同時に、どうにもならない気持ちになった時の駆け込み寺も。
…でもこれはまた別の話として。





それからすぐに役所に申請、療育手帳を取得したのは1才6ヶ月位だったかと思います。
1~2ヶ月。

この時の判定は、B2。

療育手帳の中では一番程度の軽いとされる等級です。





ユキ、この時…1才半。

普通の子供だってできることなんざタカが知れてる時期だからね。

1才半の能力も持てなかったユキです。


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日中一時支援。

福岡市はこんな制度がありました。

でも、ない自治体もあります。


障害児を持つ家庭は少数派。

少数派は所詮切り捨てられる…というか切り捨てやすい立ち位置。



分かっとります。

自分が動かないと物事は変わらない、と。





そうは言ってもとてもとても酷なことだと思います。



こうこぼす自分に罪悪感を感じる。

こんな私。

こんな社会。