雅仁親王(松田翔太)登場/平清盛 第九回『ふたりのはみだし者』 | (不肖)大河ドラマ批評家「一大河」の批評レポート

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平清盛 第九回『ふたりのはみだし者』

◎『平清盛』登場人物/キャスト


(自称)大河ドラマ批評家「一大河」の批評レポート
今週の「平清盛紀行」は、新熊野神社(京都市東山区)



「人は生まれてくることがすでに博打じゃ」
(雅仁親王)



【あらすじ】
清盛と明子の間に男子が生まれた。



清盛の館では、第一子誕生を祝して盛大な宴が催される。
宴に招かれた家盛は、平氏のはみだし者であった清盛が
父となったことを喜ぶ。



一方、宮中では複雑な事情が兄弟の間を引き裂いていた。



鳥羽院の第一子・崇徳帝は即位してから15年間ずっと鳥羽院に
疎まれ続け、ついには中宮からも見放され、世継ぎをもうけることも
できないでいたのである。



その崇徳帝の弟、鳥羽院の第四子雅仁親王(のちの後白河天皇)は、
兄の苦しみなど意に介さず、博打や今様に興じていた。



そして東国では、源義朝が来たるべき時に備え修行に明け暮れていた。



その義朝に転機が訪れる。
相模国の三浦義明が、領地を荒らす隣の荘園の連中を退治してほしいと
申し出てきたのである。



争いを鎮圧したあかつきには、三浦一族を挙げて義朝に従うという。



1139年5月、朝廷を揺るがす出来事が起こる。
鳥羽院と美福門院得子の間に、皇子(九の宮、のちの近衛天皇)が
生まれたのである。



皇子誕生の宴に、有力貴族、武士、さらには得子と対立する璋子も招かれる。
しかし、この宴の席に崇徳帝はいなかった。



得子より、祝い場にふさわしい歌を詠むよう求められた義清は一首披露する。


瀬をはやみ/岩にせかかる/滝川の/割れても末に/あはんとぞ思う


それは、崇徳帝が詠んだ歌であった。
義清は、祝いの場に招かれなかった崇徳帝の気持ちを代弁したのである。



その時、張りつめた空気を打ち破るように、高笑いの声が響き渡る。
王家のはみだしもの、雅仁親王が祝いの場に乱入してきたのであった。



【レビュー】
『平清盛』 第九回『ふたりのはみだし者』はいかがでしたか?



今回は、松田翔太氏演じる雅仁親王が登場しましたね。



ではここで雅仁親王、のちの後白河天皇の解説を少し。



後白河天皇は鳥羽天皇と璋子の第四皇子として生まれます。
ところが、親王時代の雅仁は、皇位継承とは無縁でした。



なぜなら

鳥羽天皇は得子との間にできた九の宮・躰仁(なりひと)、のちの近衛天皇を
わずか2歳で、崇徳天皇から帝位を奪うようなかたちで即位させたからです。



物語の冒頭、崇徳天皇は中宮との間に子ができなかったとありました。
直系の皇子ができぬうちに、弟の近衛天皇が即位するとどうなるか。



「院政」とは、天皇の父・祖父など、天皇の直系にあたる人物が
幼い天皇の代わりに政を行う
という絶対的なルールがあります。



つまり

崇徳天皇の弟にあたる近衛天皇が即位したということは、
位を譲った崇徳上皇による院政は、事実上不可能ということになります。



よってこの場合、院政を敷くことができるのは、近衛天皇の父にあたる
「鳥羽院」ということになります。


鳥羽院のねらいとしては、一刻も早く疎ましい崇徳天皇を
退かせたかったのでしょう。



ではなぜ、

鳥羽院は第四皇子である雅仁親王ではなく、第九皇子である躰仁親王を
即位させたのか。



遊興の度が過ぎたから、と諸本には記してありますが真相はわかりません。



おそらく、そのとき鳥羽院の寵愛を一身に受けていた美福門院得子の
入れ知恵か、あるいは陰陽師の卜占(ぼくせん)で凶と出たのか……
想像の域を出ません。



とにもかくにも、

皇位継承とは縁のない、気楽な立場にあった雅仁親王は、
「イタクサタダシク御遊ビナドアリ」(『愚管抄』※)と、
遊興に明け暮れる生活を送っていました。

※ぐかんしょう。鎌倉時代初期の史論処。



このころ、貴族社会にも庶民の文化が流入してきており、
朗詠に比べて自由な表現が可能な「今様」も流行の兆しにありました。




例えば、

劇中、雅仁親王が歌った「まへまへかたつむり」は後白河法皇の御製の歌です。
義清が詠んだ正統派の和歌「瀬をはやみ~」とは異なった調子の歌でしたね。



諸本の記述どおり、後白河法皇は声が出なくなる程の今様狂いであったことは
確かで、その今様狂いが災いして、皇位継承者とみなされなかったと、
『愚管抄』には記されています。



松田翔太氏も、そのあたりを意識して演じていましたね。
クールな役柄が多い役者さんだと思っていましたが、雅仁親王の役では、
その遊び人ぶり、狂人ぶりをよく表していました。



さて、

今回のハイライトである、清盛と雅仁親王のすごろく対決。
長きに亘る「平清盛VS後白河法皇」の前哨戦といった位置づけでしょう。



すごろくに負けた腹いせに、清太を手にかけようとした雅仁親王に対し、

「清太に害をなそうとされることあらば、雅仁様のお命、頂戴つかまつる」

という清盛の台詞。



このときの松山ケンイチ氏の怒りの表情、実によかった!!



これまで、一匹のたくましき野良犬であった清盛に、守るべき家族ができました。



愛する家族に害を及ぼす存在が現れたとき、己が忌み嫌うもののけとなっても、
家族を守り抜く。

覚悟を決めた清盛の表情に、恐ろしさと凄みを感じました。




のちに清盛は、院政への反発からクーデターを起こし(治承三年の政変)、
後白河法皇幽閉、そして院政停止という前代未聞の事態が起こります。



武士でありながら日本を牛耳るまでに勢力を拡大した清盛。
その清盛の前に、最後まで立ちはだかったのがこの雅仁親王、
のちの後白河法皇です。



ときに友として、ときに政敵として相まみえることになる両者。
ふたりの、長い長いすごろく遊びを『平清盛』ではどのように描かれていくのか。



そして

大河ドラマ『義経』にて、中井貴一氏演じる源頼朝をして「天下の大天狗」と
畏れられた後白河法皇を、松田翔太氏がどのように演じていくか。


今後の展開に期待です。



次回は、美福門院や鳥羽院から疎まれ、宮中にて地獄を味わう
待賢門院璋子に差し伸べられるハイスペック武士・義清の手。



身分を超えた禁断の愛は、やがて両者を不幸のどん底に突き落とす……


って、この展開、完璧に昼ドラじゃ……


次回、第十回『ガルマ、散る』


……じゃなかった、第十回「義清散る」にご期待ください



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