10月30日(金)

 

常々疑問に思っていた。

みんなが普通に言ってる「歯磨き粉」って、粉じゃなくない?

 

私が幼稚園くらいまで、我が家の歯磨き剤は粉でした。

我が家は貧乏だったので、世間ではもう少し早く粉ではなくなっていたかもしれませんが。

 

濡らした歯ブラシを箱に突っ込んで、歯磨き粉をつける。

いくら親に「少しでいいんだよ」と言われても、おやつなどを食べる習慣のなかった我が家で、おかずの味とは違う味ってのが珍しくて、限界まで歯ブラシを粉まみれにしては怒られていた。

濡れた歯ブラシを突っ込むので、粉が固まって、すぐにガッチガチになってしまうのも、怒られる理由ではあった。

 

だから、チューブ入りの歯磨き剤が出たときは「練り歯磨き」って言っていたような気がするんだけど。

いつの間にか「練り歯磨き」が「歯磨き粉」になっているけど、粉じゃない問題をどうクリアして言っているのだろう?

 

なんて思ったら、先日こんな広告文を見てびっくりした。

『新しい粉歯磨き粉』

…粉歯磨き粉…

 

何かの間違いかと思って調べてみたら、なんと「パウダー歯磨き粉」なんて言い方まである。

粉の歯磨きは水分が少ない分、添加物が少なくてよい、と市場を練り歯磨きが席巻したころ最後のあがきのように言われていた。

最近の健康志向、自然派志向で粉に戻っていく流れはいいとして。

これこそ「歯磨き粉」で良くない?

なぜ「粉歯磨き粉」?

考えすぎて頭痛が痛いよ。

 

 

10さんが夕方まで時間があいていたので、黄葉を観に行く。

私が好きな札幌の黄葉の名所は、あいの里教育大です。

紅葉がもう少し強い年もあるけれど、今年は黄色が強かった。

 
天気がよければ、もう少しきれいに写るはずなのだが。

 
 
 
 
 
本日の読書:駆け入りの寺 澤田瞳子

 

Amazonより

『誰にだって、逃げ出したい時がある――悩みを抱える人々が、駆込寺の門を叩く。落飾した皇女が住持を務める比丘尼御所。そのひとつである林丘寺では、前住持であり後水尾帝の皇女・元瑶と、現住持である霊元帝の皇女・元秀を中心に、宮中と同じような生活が営まれていた。四季折々の年中行事、歴代天皇の忌日法要を欠かさず行い、出家の身でありながら、和歌管弦、琴棋書画を嗜む。尼たちの平穏で優雅な暮らしのなかに、ある日飛び込んできたのは「助けてほしい」と叫ぶ、若い娘だった――。現世の苦しみから逃れた、その先にあるものとは何なのか。雅やかで心に染み入る連作時代小説。』

目次
・駆け入りの寺
・不釣狐(つられずのきつね)
・春告げの筆
・朔日氷(ついたちごおり)
・ひとつ足
・三栗(みつぐり)
・五葉の開く

江戸時代を舞台にした時代小説なのですが、落飾した皇女が住持を務める比丘尼御所(仏門に入った天皇の娘がその代表である尼寺)で起きる事件を書いた作品なので、尼僧たちの話す言葉が全て女房言葉。
ああ、皇室の皆さんが話す言葉って、平安時代から江戸までにほとんど変わっていないのだなあと思いました。

主人公というよりも、読者視点で事件に関わるのが、青侍の梶江静馬。
青侍というのは、貴族・公家の家政機関に勤仕する侍のこと。
静馬は幼い時に家事で両親を失い、一時期をこの林丘寺(りんきゅうじ)で過ごし、その後にもらわれた家で今度は川の氾濫で養親を喪い、一生を林丘寺に捧げるつもりでいる20代の若侍。

養親を嫌っていたわけではないが、物心がついたときから過ごしていた寺での生活とのギャップに慣れることができず、雨の降る中を林丘寺に逃げ帰った時に川が氾濫したため、自分さえ養親のそばにいたら彼らは死なずにすんだのではないかと、ずっと自分を責めながら生きている。
逃げてしまったことへの悔い、取り返すことのできない過去。
これが静馬の心にずっと巣くっている。

どの作品も、何かから逃げ出してきた人の物語だ。
家族から、自身の心から、過去の因縁から、逃げ出してきた人たちを寺は受け入れる(駆け込み寺ではないが)。
しかし、静馬は受け入れがたいのだ。
逃げた負い目を抱えて生きるのがどれほど辛いか知っているので。

幼いころから静馬を見守り、80歳を過ぎた今でもあたたかな包容力で周囲を見守る、元住持の元揺(げんよう)。
逃げ出してきた人に元揺が諭す言葉を傍らで聞く静馬。

いつか、養親から逃げた自分を赦すことができるだろうか。
養親のそばにいたとして、助けられないどころか一緒に死んでしまった可能性が高い。
けれども、気が住むまで自分を罰してからではないと前に進めない人っている。
泰麒がそうだったように。(泰麒は人ではなく麒麟だが)