4月21日(火)
午前中に雨が上がったので、星置緑地へ水芭蕉を見に行ってきました。
星置緑地の場合、桜が咲く前に行くとちょうどいいのですが、10さんの予定があくのを待っていたら桜に追い越されました。
巨大化した水芭蕉。
雨上がりなので、湿地というよりは池の中のよう。
写真中央の白っぽいのはエゾサンショウウオの卵、その上にかかっている黄色っぽいのがエゾアカガエルの卵。
虫は苦手ですが、両生類は大丈夫。
来る途中はまだ雨がパラパラ降っていましたが、気持ちのいい青空になりました。
エゾノリュウキンカがちょうど見頃でした。
いちめんの エゾノリュウキンカ
いちめんの エゾノリュウキンカ
いちめんの エゾノリュウキンカ
エンレイソウ?コジマエンレイソウ
数年前に母を連れて水芭蕉を見に来たとき、長男と母が散歩した桜並木。
今日は私と娘でお散歩。
本日の読書:猫泥棒と木曜日のキッチン 橋本紡
橋本紡が若い人たちに人気がある作家であることは知っている。
でも、わたしは多分相性が悪い。
みずきは高校生。
5歳の弟と二人で暮らしている。
ひと月ほど前に母親が家出してしまったのだ。
実の父親を2歳の時に亡くし、コウちゃんの父である二人目の父親もずいぶん前に出て行った。
でも、家のことを何もできない母親に育てられた結果、みずきはしっかり家事のできる子に育ったので、問題なし。
いやいやいや。
主婦って、家計のやりくりと料理ができたら終わりじゃないから。
学校が終わったら自転車でスーパーをはしごし…とか、図書館で時間を潰し…って、その間コウちゃんは?
幼稚園にしろ保育園にしろ、迎えに行かなくてはならないはず。
コウちゃん一人で家に帰ってきた描写があったけど、それはあり得ない。
もしかして一人で留守番させてたのか?
家計のやりくりも、母がいなくなってからの収入はどうしていたんだろうと、読みながらずっと疑問だった。
最後の方で高校卒業までの分として貯金が残してあったと言ってるけど、そもそも貯金できる生活だったのかも疑問。
コウちゃんの父親は家にお金を入れることなんてなく、母の収入で親子4人暮らしていたわけで、でも、お母さんの仕事ってパートなんだよ。
一日6時間、週5日のパートで、そんなに余裕があるわけがない。
というような、物語の基礎工事がゆるゆるの作品が、わたしは好きではないのだ。
例えば、このように親から放置されたような状態でいる子どもがこの本を読んだら、支えになるのかもしれない。
逆に反発するかもしれない。
だからこそ、ふわふわしたファンタジーのような生活ではなく、地に足の着いた生活を書いてみせなければならないと思うのだ。
「お腹を切るなんてかわいそうだから」と避妊手術をさせずに猫を手なずけ、子猫が生まれたら道路わきに捨てに行く猫屋敷のおばさん。
子猫たちは食べるものがなくて、または道路に飛び出して死んでしまうが、それは猫なんだもの、しょうがないと切り捨てる。
子猫だろうと人間の子どもだろうと、命を預かるということは責任を伴うことなのだ、という風につなげていくのかと思ったが、そういうこともなく、猫泥棒の話は終わった。
そういうところが…なんだよね。
カバー裏より
『お母さんが家出した。わたしたちを置いて。お父さんはずっと前にいなくなった。けれどもわたしは大丈夫。弟のコウちゃんと二人で生きていく。友達の健一君だって応援してくれる。そんなある日、わたしは道ばたで「絶望」に出会ってしまった――。失くした希望を取り戻すために、高校生・みずきの戦いと冒険が始まる。生きることへの励ましに満ちた物語。』橋本紡が若い人たちに人気がある作家であることは知っている。
でも、わたしは多分相性が悪い。
みずきは高校生。
5歳の弟と二人で暮らしている。
ひと月ほど前に母親が家出してしまったのだ。
実の父親を2歳の時に亡くし、コウちゃんの父である二人目の父親もずいぶん前に出て行った。
でも、家のことを何もできない母親に育てられた結果、みずきはしっかり家事のできる子に育ったので、問題なし。
いやいやいや。
主婦って、家計のやりくりと料理ができたら終わりじゃないから。
学校が終わったら自転車でスーパーをはしごし…とか、図書館で時間を潰し…って、その間コウちゃんは?
幼稚園にしろ保育園にしろ、迎えに行かなくてはならないはず。
コウちゃん一人で家に帰ってきた描写があったけど、それはあり得ない。
もしかして一人で留守番させてたのか?
家計のやりくりも、母がいなくなってからの収入はどうしていたんだろうと、読みながらずっと疑問だった。
最後の方で高校卒業までの分として貯金が残してあったと言ってるけど、そもそも貯金できる生活だったのかも疑問。
コウちゃんの父親は家にお金を入れることなんてなく、母の収入で親子4人暮らしていたわけで、でも、お母さんの仕事ってパートなんだよ。
一日6時間、週5日のパートで、そんなに余裕があるわけがない。
というような、物語の基礎工事がゆるゆるの作品が、わたしは好きではないのだ。
例えば、このように親から放置されたような状態でいる子どもがこの本を読んだら、支えになるのかもしれない。
逆に反発するかもしれない。
だからこそ、ふわふわしたファンタジーのような生活ではなく、地に足の着いた生活を書いてみせなければならないと思うのだ。
「お腹を切るなんてかわいそうだから」と避妊手術をさせずに猫を手なずけ、子猫が生まれたら道路わきに捨てに行く猫屋敷のおばさん。
子猫たちは食べるものがなくて、または道路に飛び出して死んでしまうが、それは猫なんだもの、しょうがないと切り捨てる。
子猫だろうと人間の子どもだろうと、命を預かるということは責任を伴うことなのだ、という風につなげていくのかと思ったが、そういうこともなく、猫泥棒の話は終わった。
そういうところが…なんだよね。








