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『白山下山佛』◑












 奈良時代の末頃からずっと、日本人は
神と仏を混交して祀って来た。
『本地垂迹(ほんじすいじゃく)説』といって、
日本の神々は実は仏が姿を変えて現れたもの、
という思想が平安時代以降広まったことが、
『神仏習合』を一層強固にしていた。
その『本地垂迹説』によると、
白山の御前峰(ごぜんがみね)の神は
伊弉冉尊(いざなぎのみこと)で、
本地仏は十一面観世音菩薩。
そして大汝峰(おおなんじがみね)は
大己貴命(おおなむちのみこと)で
阿弥陀如来、
別山(べっさん)は
小白山別山大行事で聖観世音菩薩、
というふうになっている。

ところが明治になると、神道の国教化を目指す政府によって『神仏分離令』が発布された。
神社に併設されていた寺院や仏像が破壊されるという『廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)』
も盛んに行われた。
石川県でも明治7年(1874年)、
白山における『神仏分離』の指令が山麓の村々に発せられ、仏像の下山が命じられた。
かくて7月5日、運搬作業が始まる。
当初は3日間で終える予定が、豪雨に見舞われて9日もかかり、村人たちは
仏さんの祟りだと噂したという。

現在観光客も多く訪れる白峰の
「林西寺(りんさいじ)」に展示されている
8体の仏像は、山頂や『室堂』から下ろされたものである。
そしてもう一箇所、こちらはあまり知られていないのだが、尾添(おぞう)の白山社に、
12体の仏像と半鐘一口が安置されている。
これらは、石川県側から白山に登る
『加賀禅定道』の聖地である
「桧新宮(ひのしんぐう)」や、
上部の『護応石』、「天池金剱宮」
にあったものだ。
「桧新宮」の本地が地蔵菩薩であったため、
地蔵菩薩立像が七体と多い。
実はもう一体あったのだが、
昭和59年に北陸電力が発電所建設記念として『桧新宮を再建』したため、
その地へ返された。

「尾添白山社」の扉は普段は閉められている。
管理する林源常さんに頼めば開けてくださるが、いかにも村人によって守られているというふうで奥ゆかしい。
林さんの話によると、尾添は区として
下山仏をもらい受け、政府の目をそらすために神社を建てて安置した。
それからは、
鎮守の神である
「加宝神社」を『下の神様』、
高台に建てられた
「白山社」を『高の神様』
と呼んで、丁寧に祀ってきたという。

下山仏が並ぶお堂の中に、金庫が一つ置かれている。
中には、鎌倉時代の十一面観音像の頭部を、
江戸時代中期の胴部につないだ観音像が入っている。
厨子の由緒書には異国の渡来仏として信仰されていたことが記されているが、
尾添の口伝によると、飛騨の婆が延棒にしようと盗み出したが、首だけが桧新宮に帰ってきたとのこと。
それで、また盗まれては大変と、金庫に入れているそうだ。
毎年7月18日の『白山まつりの日』に開帳される。
こんなところにも純粋な信仰が垣間見え、
微笑ましい。

尾添を流れる尾添川は、
『加賀禅定道』における
結界であったといわれる。
尾添の密谷家に『泰澄和尚伝記』の最も古いとされる写本が伝わり、
林家に白山牛王印(ごおういん)の版木が保管されていることも思えば、
白山という聖地への入り口である尾添に、
下山仏が留まる必然性があったようにも思われる。

本足跡



白山‼️。。

尾添。。。





「白山下山仏社」

ここの『下山佛』は。。。
白峰村の「林西寺」とは違い…、、

ちょっと分かりにくい場所にある…。。

まず、『案内板』などは。。ない

ここの目の前にきて‼️…ようやく。。ある感じ

しかも、車道を。。さらに狭い‼️…
(しかも⁉️入りづらい‼️)側道に逸れていなかないと‼️ならない。。
(車一台分しか通れない側道。)

偶然、通ってしまう道ではない。。うっとりねこやん



ぁ。。。

いい雰囲気‼️。。。ラヴねこやんキラキラキラキラキラキラ




「尾添白山下山仏社」





ひっそりと佇む…小さな社。。。










この中に‼️…。。






























































 『下山仏、10年ぶり公開 
   尾添白山社の14点』


 『白山開山1300年』を記念し、
白山麓の「尾添白山社」
(白山市尾添)にある
『白山下山仏』の仏像・仏具計14点が
今年、10年ぶりに一般公開される。
市立博物館が10月21日~11月26日、
特別展『白山下山仏と加賀禅定道』
(北國新聞社特別協力)を企画する。
同じく下山仏を保管する
「林西寺」(同市白峰)
の協力も得る予定で、同館は貴重な文化財
の展示を通じて郷土に息づく白山信仰の
歴史、文化の奥深さを広く紹介する。
 
 『下山仏』は
明治初期の『神仏分離』に伴い、
白山から下ろされた仏像と仏具。
古来より白山には『神仏習合』の信仰があり、
山頂付近の堂舎には数多くの仏像、仏具が安置されていたが、『神仏分離』により大半が廃棄された。
しかし、信仰の厚かった白山麓の人々によって一部が「尾添白山社」と「林西寺」に運ばれ、現在に至っている。
 
 「尾添白山社」には、
『加賀禅定道』の「桧新宮(ひのしんぐう)」にあった仏像13点と半鐘1点が保管され、うち仏像9点と半鐘は県文化財に指定されている。
飛騨の老女に盗まれ、首だけが帰ってきたので、江戸中期に胴体と台座が復元されたとの口伝が残る
銅造観音菩薩坐像(ぼさつざぞう)や、
木造阿弥陀如来立像(在銘・1216年)、
木造十一面観音坐像(同・1638年)、
銅造地蔵菩薩立像(同・1700年)
などがある。
 
 仏像などは非公開で、毎年の正月三が日
と地元の祭りのときのみ開帳される。
「白山社」から搬出されることはまれで、
直近では2007年7~8月に
金沢市の「県立博物館」で
開かれた展示会に出品された。
 
 「林西寺」では
山頂付近や『室堂の社』などにあった
仏像8点と文書1点が保管・公開されており、
平安時代の制作とされる、
『銅造十一面観世音菩薩立像』は
国重要文化財となっている。
白山を開山したと伝わる奈良時代の僧・
『泰澄(たいちょう)の木造坐像』
も下山、安置されている。


本足跡


























少し下っていくように。。

中へ中へと、行くと。。。









「加寶神社」





















立派な‼️…綺麗な『手水舎』。。キラキラシャボン玉シャボン玉キラキラ
















歴史。。。文化。。。

地名や。。町、村の名前が変わろが。。

今まであった…歴史や文化が、消えて無くなるわけではない。。

今までずっと、積み重ねてきたものが。。
無かったことになるわけではない。。

これまでの歴史。。。人々の想い。。



ずっと大事に受け継がれていくべきものキラキラ





「加寶神社」(かほうじんじゃ)

白山市尾添イ54




【御祭神】
太玉命


【鎮座地】
白山市尾添イ54


【氏子区域】
白山市
尾添



『由緒』

開社当時白山大権現と称し、
天保の頃は『加宝の宮』と称す。
天保10年本殿再建。
明治5年11月2日村社に列せられ祠官をおく。
大正12年11月拝殿新築、
昭和29年11月2日本殿改築。

本足跡





『白山之記』に、
「加宝社」は虚空蔵菩薩の垂迹であるという。
つまり、加宝社に祀られている
太玉命(フトダマノミコト)という神様の本地は。。虚空蔵菩薩であるということ

 
「加宝神社」には仏像は安置されておらず
御神体は『鏡』。。その『鏡』は
虚空蔵菩薩を表すものである。という 


本足跡






太玉命。。
天太玉命。。


中臣氏と宮廷の祭祀を分掌した
『斎部氏の祖神』。
フトダマは「立派な玉」の意で,
祭りに用いる神聖な玉に由来する神名である。

『天の石戸神話』に登場し,
『中臣氏の祖神』
天児屋命(アメノコヤネノミコト)
と共に日神を呼びもどす祭儀を行っている。

『古事記』や『日本書紀』では,
フトダマノミコトは,
玉や鏡を取りつけた賢木(御幣)
を手に持つ役割を担当し,

祝詞を奏上する
アメノコヤネノミコトと
ほぼ対等に活躍している。



 天児屋根命(アメノコヤネ)
:天岩戸伝承で祝詞を奏上した祝詞の神

布刀玉命(フトダマ)
:天岩戸伝承で鏡を掲げた祭祀の神 








コヤネ。。と、フトダマ。。


































































白山信仰。。。

虚空蔵信仰。。。