やりたいこと
その逆にある、やりたくないこと
自分のことをよくよく観て
それって何か物理的なことの他にも
意識や態度のことも
言えるなぁて思っていてね。
私が、やりたかったことの一つは
物事に一生懸命になることだったなぁて
逆に本当はやりたくなかったことは
本当は,好きなのに
本当は、仲良くしたいのに
本当は、気にかけているのに
本当は、大切にしたいのに
私気にしてないから✋みたいな感じで
適当にあしらったこと
このどちらにも、私の中で
自分の、感受性豊かな部分を
小馬鹿にしてるのと、
そんなはずない❗️って
認めてない気持ちもあって
それとは逆にどこかに、
そんな自分に対して
本気で取り合ってもらえなくて
寂しいな。って感じてる気持ちも
あったが本当。
自分で「感受性豊かです」
って認めることって
傷つきやすいとか、
寂しがり屋な部分があるとか
どこかこう「めんどくない奴」というか
人に対して、腫れ物扱いしてください
って示してるみたいで
で、そう人に思われるのも嫌で
どっちにしても、いやだったのね
でもやっぱりどこを切り取っても
色んなことに感動して涙が出るし
人の優しさにも、涙が出るし
悔しくて、悲しくて、怒ってても
涙が出る
嬉しくても、すぅーと涙が出る
何においても涙が出る
ほっんとに、どうでもいいような事に
いちいち感動して、わー♡ってなるし
本当にちょっとしたことも不安になるし
ちょっとしたことで、怖さも感じる。
でね、もうね、感受性が豊かだってことを
認めることにした!
もう、それでいいんだ
それが私の一部なんだってした👍❣️
そしたらね、豊かな感受性は
もしかしたら、少し繊細かもしれない
でもね,その分些細なことで
色んな幸せだなって
感覚も感じることができて
幸せってこの
「感じることそのもの」
なんだって、はっきりしたんだ☺️❗️
(こういうテーブルセットにも
いちいちときめいてしまうのよふふ)
成長とともに
大人になればなるほどに
一生懸命さってダサいと思ってた
何かに一生懸命になって
悔しい、悲しい思いをして
それ自体、なんかもっと
スマートに行かせなきゃと思ってたり
逆に、本当は適当に人や物事を
あしらうことが、できないのに
人から言われてきて
ずーっと無意識に染みた
・適当なやつ
・小さなことを、一々気にする
・そんなにものごと深く考えてないくせに!
みたいな、言葉や価値観が
真面目はだめ、考えることも
誰かに優しい気持ちを持つことも
なんかどこか、ダメにしてた🙅♀️
なんかさ、本当さ
私らしくなさすぎてっww
どちらも、認められなくて
もがいていたのは、
毎回恒例、罪悪感かな❗️
でさ、罪悪感の自覚ができたら
罪悪感を感じつつも、どうしたいか?
を選び直そうと思う٩(ˊᗜˋ*)و
だって、私はどっちにしろ
一生懸命にやりたいことを
適当にしたいなんて、本当はできないしw
悔しい涙が出るくらい
本当は、本気だったこと
今までも今もたくさんある。✊♡
逆に「適当にあしらう」ことも
見て見ぬ振りもしたくないこと
たくさんある!あった!!
大人だからを理由に、
自分が気になることを
見て見ぬ振りしたくない
それが例えば、公共の場でね
おばあちゃんが困ってて
私に余裕があったら手を差し伸べよう!とか
とある場に行って、話しかけたい人
魅力的に感じる人がいたら、行く!とか
ラッコさんにも家族にも
周りにいる、大切な人に
ありがとう♡大好き!!って
言える、言いたい自分に
適当したくない
だからね、もう、しない。
その分、自分のしたいに
エネルギーを注ぐよーーう✨❗️