決断しなかった
「ひ弱なエリート」
と
その親たち
増田 四郎(ますだ しろう、
1908年(明治41年 10月2日 - 1997年 平成9年6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。
専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と、比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。
「普通のガキじゃないんだぞ。」
そう言った私の父が、
小学校高学年〜遅くても中学1年生になったばかりのりくに、直接手渡したものだと思う。
なぜなら、父が亡くなったのは
りくが中学1年生の6月だからである。
書籍の日焼けの様子からは、
父が購入したのは、それよりかなり前ではないかと推察しながら
どこかの段階で、少なくても
りくは読んでいるのではないかと思った。
私の父は、離婚後の私が、
彼らを連れて実家に出戻ってから
亡くなるまでの10年、
元夫はもとより、実母である私以上に長い時間を彼らと共に過ごしている。
突然の余命宣告のとおりに、3ヶ月で逝った父親がわりの祖父によって手渡された書籍への思い入れが、ないわけはないだろうと思うからである。
すぐれた教師というものは、自分の講義が丸暗記されることを望んでいません。
講義されていることは、思考の一例が述べられているにすぎないのですから、
このようにいうと、
そういうことを
その練習をしないですむなら、別に講義に出席する必要はないでしょう。
百姓仕事を手伝っているうちに、
わたしは妙なことに気がつきました。
百姓は、自家でものをつくっている。
自分でものをつくっている。
それなのに、
そのつくったものの値段をきめるときは、自分の意志というものはぜんぜん働かないものだ。
苦労してマユをつくっても、
その値段は、できたときに買いにくる、別の機構と経済情勢できまってしまう。
マユばかりではない。
他のすべての農産物も同じことだ。
生産者の意志にぜんぜんかかわりのないところで値段がきまる。
いったい百姓というものはこれでいいのだろうか──。
わたしに大きな影響を与えたのは、
岩波文庫の発刊でした。
あれは、たしか昭和二年でしたでしょうか。
それはもちろん、わたしだけではない。
当時の学生全部に対して、ひじょうに大きな役割を果たしたのです。
あれは、だいたい古典的な価値をもったもので、だれがいつ読んでも役に立つ、というのが発行のねらいといわれましたし、
ポケットに入れられる大きさ、当時、十銭で買えたのですから、貧乏学生にも、いわゆる 高嶺の花ではなかったわけです。
だんだん不景気になってくる時代でした。
やがて日本が、満州事変、二・二六事件などを経て日中戦争・太平洋戦争へと突入していく前夜に当たるころです。
三月に満州の建国宣言が行なわれ、五月十五日には右翼と軍人とによる犬養首相らの暗殺が行なわれた五・一五事件が起こります。
そうした激動の昭和七年、
わたしは大学を卒業します。
ですから、なかなか職がありません。
保険会社の外交員になって大いに威張っていたようなものもいる。そういうような時代でした。
まさに〝大学は出たけれど〟みんな失業者
といっていいありさまでした。
風船玉に重役らしい顔をかいて、それを踏みつけてパーンとやる漫画があった時代です。
学校の成績に優が多かろうと少なかろうと、どうせまともな就職はできない状況でしたから、
ある意味では、
自分の好きなことをやるのに、いい環境であったともいえます。
つまり、
学問でもしようかというばあい、
ひどく不景気か、
あるいはたいへん好景気のときがいいのです。
中途半端なときは、心にもないことをして、優をとりたいという気持ちを起こさせますから、どうもよくないようです。
勉強するときには、
むだな努力がいかに尊いか
ということを考えなければいけない。
すべてがすぐ目に見える効果的な勉強をねらっていたのでは、歴史の勉強はできない。
勉強というものは、まことに
むだの多いものだ。
自然科学でも、三年五年とやって成功しないばあいもあるし、否定的な結果しか出ないばあいもあるのだ。
だから、
むだのない勉強をするという
考えは捨てなさい──。
ひとの悪口や不平ばかりいっていたのでは、いい社会はできないし、
世の中は成り立ちません。
家庭においても、団体においても、
いい意味の刺激を受け合う状況をつくること
がだいじであり、
そういう状況のなかで、
自分の心の糧となるものをハッと感じとる。
そうした気合いのかかった人間関係をつくることが、切実に求められます。
そうでなければ、
みんなで生きているこの世の中がつまらなくなります。
世の中をおもしろいと感じとるのは、
金持ちになったり、権力をにぎったりすることではなく、人間関係の妙味を感得することなのです。
どんな山村でも、全体の経営がうまくいっているところでは、青年団とか婦人会とかは余暇を読書会に当てています。
文庫本とか新書版などの、いい本が、そこでいくらでも読めます。老人は俳句の会などを開く。
そうすれば、苦難の世紀ではあるけれども、いまに、はじめて西洋とまったく対等の地位に立って東洋を主張できる時期が必ずくるにちがいありません。
いままでは植民地化され、東洋は、西洋を先生と仰ぎ見ていたけれども、もうそういう時代ではなくなりました。
このことを政治に反映すれば、日本の独立ということを、ほんとうに考えるときがくるのです。
精神史的にも、ワビ・サビ・禅ではなく、
学問的に
日本人の精神の自由を
かちとるときがきます。
むだな努力がいかに尊いか
ということを考えなければいけない。
すべてがすぐ目に見える効果的な勉強をねらっていたのでは、歴史の勉強はできない。
そういうことを、
トンビがわかっているかどうかで
鷹自身から生まれる後付の能力が変わるということはあるだろうと思う。
ではなぜ、私達は
仮定の話ができないのか。