うちの息子たちは、3学年違いであるが年齢差は2歳2ヶ月である。

兄が3月生まれで弟が5月生まれ。

インターネット上には生まれ月による損得に関する記事が散見されるが、2人を育て終えた私としてはまぁ、いまさらどうでもいい。

というのか  

妊娠前から妊娠中、産前産後から子育て期〜現在に至るまで、とりたてて気にするほどの機会は一度もなかった。

が、

早生まれが一人もいない3姉妹を育て
自身は4月生まれの実父(育爺)は、

3月生まれの孫である長男が、6歳になった途端に小学校に入学するときに

「得だよなぁ。生まれてからまだ6年しかたっていないのに、もう学校に行けるんだ」と言った。


3月生まれは、親から巣立つのが早い。


我が子の育ちや教育に関して、コストパフォーマンスの良し悪しはそんなに重要なことではないと思っていたけれども
 
それは、お受験等が盛んではなく効率、いゃ公立主義とかいう以前に  

多くが何の疑問もなく地域の公立小中学校にすすんでゆく地域性のためもあるだろうし

長男自身が「結構ケチ」だったからだと思う。

「俺の勉強に金かけようなんて思わんでいいぞ。俺はそんなに勉強好きじゃないからな。」と言ったのは15歳になったばかりの高校1年生のときだったと思う。

その後、17歳になった途端に大学受験生となった長男は、受験校を決定するにあたっての優先順位の高いところに「現役で合格できる国立大学」を据えた。というか、そこを目指した受験イメージをもってプランをたてたようだった。

18歳になる前に前期国立二次試験までが終わってしまう3月生まれを、得と考えるか損と考えるかは考え方次第であるのだろうし

子どもの誕生月をはじめとして育ち方や進学、その行く末を「損得で考えること自体がナンセンス」という思いもあるが


生まれ月になんらかの理屈をつけることは、星座や血液型占い的な面白さがあり私は意外と好きである。


スポーツ選手に早生まれが少ないという調査結果があることを知り、そこにはとくに関心を惹かれたが

かといって、遅生まれの人のほとんどがスポーツ選手になっているわけではもちろんなく、個人的には身近な知人にスポーツを職にしている人がいないので、あくまでも一般的な関心の範囲にとどまっている。




思えば、あれは2007年の5月
「天皇陛下」
「昭和の日」
「みどりの日」

大型連休を自宅で過ごした次男りくの脳裏には、そんな言葉が焼き付いたのだろうか。

平日の朝、今日で5 歳になるりくは
保育園の支度を整えながらこう言った。

「今日は、ぼくの誕生日なのにどうして保育園にいかなければいけないの??」

「天皇陛下の誕生日はお休みなのに」


育爺が、苦笑しながらもさらりと答えた。

「天皇陛下というのは
日本のそれぞれの時代に、一人ずつしかいないからね」

不満そうに不思議そうに
りくは言った。

「ぼくだって
一人しかいないよ。」





自分自身の力で
自分を育てる

自分を
相手から
高めてもらおう
とするのはやめる

桜は桜らしく
 すみれはすみれらしく
 咲く世界が美しい 

あなたには
あなただけの
 咲き方がある