「文と武は元来一徳であって、分かつことはできない。武なき文、文なき武は共に真実の文ではなく、武でもない。」

中江藤樹(山神眞一)



 









「『文武両道』とは『勉強とスポーツを両立させること』ではなく、『脳の入力と肉体の出力を循環させること』である」




知行合一
「知識と行為は一体であり、
実践が伴わなければ本当の知ではない」




「『文武両道』とは『勉強とスポーツを両立させること』ではなく、『脳の入力と肉体の出力を循環させること』


すなわち、脳の出入力が機能していることである。


学問は文武両道

脳でいうなら知覚と運動


知覚から情報が入り、運動となって出て行く。出て行くが、運動の結果は状況を変える


その状況の変化が知覚を通して脳に再入力される。こうして知覚から運動へ、運動から知覚へという、ループが回転する。





学習とは、身につくこと
身体を伴ってわかるということ


吸い込むだけのスポンジか
ひたすら動き回るロボットか






手をじっと見つめて動かしてみて
「わかっていく」





サムネイル
 

物質の究極を探ろうとしても

その道具として使っているのは


所詮は人の脳味噌

脳味噌の限界が、世界の限界












 




サムネイル

俺は俺だ!!

多くの人はそう思って生きているらしいが、そんなものは意識がそう主張しているだけ。



すべては移り変わるが、それを引き起こしているのは自分自身である。

それを忘れて「生きること」が成り立つはずがない。

人の名前は情報であるが、人間は情報とは違うのだから停止しているわけはなく、日々変わるもの。


知るということは、本質としての自分も変わるということです。  




教育の根本はなにか
というなら、話は簡単 

水と餌とねぐら
それを自分で
探させるようにする。

そうすれば、

アッという間に
子供は育つ。



教育の本質は、無償


その行為に

見返りなんか期待しない。 


そういうことを伝えていくのが教育なのだから、そういうよいことは


人に知られないように

ひっそり無償でやりなさい。



親は子の影

子ども自身に押し付けたうえ

報酬や見返りを求めるなど

言語道断 もってのほか




 

子育てへの協力とは、オムツを洗うことでも、炊事をすることでもない。


産む性への理解である。


養老孟司




人間社会は、頭でっかちで成長の遅い子供をたっぷりと時間をかけて育てるという、効率化とは逆の方向で作られた。


そこに人間の豊かさと幸福が宿る。  


古き時代に戻ろうというのではない。


人類の進化を突き動かしてきた舵を見失ってはいけないということが言いたいのである。


父という余分なもの