私がブログを書きはじめたのは、次男りくが大学受験の真っ盛りだった頃である。


翌春、次男は無事に大学1年生になり、長男は大学4年生になった。


それから1年が経ち




長男は、ストレート院進を望まなかったので、学費のピークは少なくても一旦、ここで終了した。


仕送り額が半分になったことから生じた、気の所為の残高余力に慣れるまでに一年ほどを要しながら


なぜ、長男が院進しなかったのか。


ときどき、そのことが気にかかっていた。


本当のところは、彼にしかわからないのはいつものことだし


「俺の勉強に金かけようなんて思わなくていいぞ」「俺はそんなに勉強好きじゃないからな」と中学3年生〜高校生にかけて言っていたこととの矛盾はない。


にもかかわらず、なぜ。。。とつい考えてしまうのは、少しの心苦しさがあったからである。


私の父、長男の祖父であるブログ通称育爺は、理系国立大を昭和40年代初頭に卒業した技術者であった。


当時、懇意にしていただいたらしい大学教授から院進を勧められたが、最終的には受験せずに就職した。


父の実家の経済事情がそれを許さず断念した、という説が


母からの伝聞により


我が家では定着していたが、

父自身からそう聞いた記憶はない。


実は、私はこの話が苦手であった。


なぜなら、

母が妻としての立場でそれを語る文脈からは、父への同情が感じ取られ


まるで、その親ーすなわち父方実家の力不足を非難しているかのように、若い頃の私には聞こえてしまっていた。


そしてそれは、

進学高校卒でありながら、

「女の子だから」という当時としては当たり前の理由で大学進学を許されなかった母自身と、重ね合わせているように思えたからである。


その夫婦の娘である私が、若い頃

そこに釈然としない思いを抱いたのは、


自身の進学に当たって

親の金銭負担を考慮することを期待されているものと、日々感じていたからである。



少なくても、

高校生の頃までは、その期待に応じるように未来を選択していくものと思っていて、それは柔軟さを素養とするような穏健な意思よりも、「恩に着せられたくない」という皮肉を含んだ意思のほうが優性だった。


しかし、


その意思をもって

比較的裕福な家庭の子女が多かった

高校を経て、


進学した先で


何人もの明るくたくましい苦学生的な存在の女性に出会ったことで、緩やかに被害意識から脱却していった。


ときすでに、20世紀の終盤にあっても

「弟がいるから」

「兄がいるから」

まだ、そういう女子がいたのである。


そういうわかりにくい背景があって

不届きなのを承知で言えば

 .

「育爺が実家の金銭事情によって、進学を断念した」という気の毒な昔話を


長男の前で

母の言葉で


語ってほしくはなかった。


その昔話を

長男がどのように解釈するのか。


母である私は、

我が身に照らしてしか

考えられなかったからである。


そのためであろう。


母が長男に

「才も意志もあったのに、親の非力で院進を断念した気の毒な育爺」の話を始めたとき


私は求められてもいないのに


「そもそも院って、親のお金を当てにしないと行けないところじゃないよね。」とつい口にした。




隠れていた本心を言えば、その頃すでに亡くなっていた育爺自身の名誉のためでもあったのかもしれない。


育爺自身が長男本人に直接語るならば、

母の語りとはまた違う「自伝」が生まれるのではないかという40代の私の思いがあった。


この数年後


長男が院進しない旨を

私に話したとき


そのときのことが

思い出されたので


「経済条件のことなら、備えはある」ことを伝えた。





 

「いまどきの若者」 「自己肯定感」 「男は」「女は」 それらと同じように出回る「母子家庭一般論」は、


切り口や論調によるが酒宴の戯言のようなものも蔓延している。 


その戯言が大事かどうかは、人によるしタイミングによるし、なによりも解釈の仕方による。


個人的には、

母子家庭で育つ子どもが

「父はなくても子は育つもの」だと

思い違いをする。


それ以外のその他いろんなこと

(経済力や育児力、教育力の低下)

については、


不況下で共働きが標準とされる現代においては、とりたてて母子家庭に特異性の高い課題であるとは思わない。



大人2人と

子ども2人の4人家族よりも


大人1人と子ども2人の

3人家族のほうが


生活費を抑えることができるのだから。



私が今、住んでいるのは

父と母が築いた「家」である。




長男が院進せずに就職し

学費のピークが過ぎた頃


帰省した次男のりくが、大好きな海鮮料理が並んだ自宅のダイニングテーブルに着きながら


私に向かって

今更ながらの問いかけをした。


「俺の学費って、どうやって払ってるの?」


お兄ちゃんの学費はもう支払う必要がないんだから、りくの分は払えるよね。


と難なく答えたら


「あ〜そうじゃなくて

仕送りって、どこから払ってるの?」


と食いついたので


りくは、普段はここ(実家)でご飯を食べないんだから、その分をりくの口座に入れているだけだよ。


と訳無く答えた。


すると

「えーっと、そうじゃなくてさ、俺の一人暮らしの家賃も。。。」


と、食い下がったので


「育爺が、お母さんの家賃を払い終えてから逝ったから、その続きでお母さんが、りくの家賃を払っているんだよ」


とさりげなく言った。






 


人間社会は、頭でっかちで成長の遅い子供をたっぷりと時間をかけて育てるという、効率化とは逆の方向で作られた。


そこに、人間の豊かさと幸福が宿る。


古き時代に戻ろうというのではない。


人類の進化を突き動かしてきた舵を見失ってはいけないということが言いたいのである。


【あとがき】

著者は、本書で『父』という「子どもと生物学的にきずなをもたない男」の存在を問うている。


別の言い方をすれば、

「家族が単独では成立し得ず、複数の家族が集まって機能を発揮する」

そのような人間家族のあり方、つまりは自然のつながりを超えて編成される、より高次の集団としての社会のあり方をゴリラの集団にその祖型を見るという形で問うているのである。


人類社会が「社会学的父親」を

創造したのだとすれば、


男が父親になるためには、まず女から持続的な配偶関係を結ぶ相手として選ばれ 


次にその母親を通じて


子どもたちから選ばれるという

二重の選択を

経なければならなかったはずだ




ところがその「二重の選択」が今、自明のこととして成り立たなくなっている。


「家族の連帯を通した社会のあり方が現代の要請に合わなくなった」ということなのだろうか。

そう自問する著者は、

「父親を捨て家族を解体することは、人類の歩みが始まって以来の文化と決別するということだと私は思う」と書いている。