一部抜粋・勝手に改編



鈴木は家族の定義を整理し

その特性について


1.保育、教育、保護、介護などのケア機能をもっている


2.社会との密接な関係をもち、集団として、常に変化し発達し続けている


3.役割や責任を分担し、不断の相互作用によって家族観に人間関係を育成している


4.結婚、血縁、同居を問わず家族員であると自覚している人々の集団である。


5.健康問題における重要な集団であり、一つの援助の対象である。


と整理している。




結婚、血縁、同居を問わず、という

表現がみられるが、


私達は

「家族」と戸籍、婚姻関係、血縁関係を無意識のうちに同義に捉えがちである。



例えば、入院している子どもの面会者は「両親と祖父母」や「親族のみ」と説明がなされたり


子どもが受ける手術や検査の承諾書には代諾者となる大人の「続柄」を書く欄が設けられていたりする。


つまり、これらの人は


子どもと戸籍上の関係があり

血縁関係にある「家族」の中の大人であることが


暗黙に求められている。



日本では、これまで家制度や戸籍法といった法に基づくとらえ方が一般的にされてきた。


しかし、家族の概念や家族像は

歴史や文化、政治、時代の価値観に影響されるものであるから


現代社会において子どもの両親は

必ずしも、戸籍上の婚姻関係にあるとは限らず


「家族」というまとまり

戸籍や婚姻関係、血縁といった

つながりを切り離して考える必要性が強くなってきている。 



家族の構造の多様化は

家族員の役割に影響する。


女性の就業率、夫婦の共働きの割合は上昇し、家族内家族外の両方で多彩な役割を担う母親が増えてきた。


一方で、


主養育者=母親

というスキームは

いまだ私たちに強固に刷り込まれている。


母親が主養育者である家族が、数的に多いことはたしかであり


典型的といえば、そのとおりである。



しかし、家族の構造


そこには、

家族と社会のかかわり方の変化に伴って

役割多様化が生じている。


父親が主夫として子どもの世話と家事を担い、母親が働きに出て家計を支える家族があり


離婚して母子家庭となり

母親が家計を支え

実家の祖父母や母親のきょうだいが子どもの世話を担うケースがある。


いわゆる性役割の考え方から離れ、家族内の役割に多様性をもって対応しているケースもあるということである。




かつて


育成期家族は

若い家族であった。


初めて親となる人は、20代から30代前半であり


社会の中で若者と言われる層ー発達段階で言うところの、青年期に当たる人がほとんどであった。


しかし、近年では晩婚化、晩産化がすすみ高齢出産と呼ばれる35歳以上の初産はもはや特別ではなくなった。


育成期家族は、若い家族ばかりではなくなったのである。


このことは、単に親の年齢のみではなく、家族が抱える問題の多様性を生んでいる


青年期に親となる家族では、家族としての発達課題と家族員の発達課題は概ね並行して達成される。


すなわち

アイデンティティの確立を経て、


職場や拡大家族といった

社会との関係を築き


役割を担うという

個人の発達課題の達成と、

家族を形成し親となり子育てを

経験するなかで


子どものニーズを組み込んで

家族の生活を構築していくという


家族としての発達が

同時並行的に進行する。


一方、成人期、中年期に初めて親となる家族では、個人の発達はすでにある程度成熟したはずの段階で、


社会のさまざまな役割を担いそこでの関係を構築してきたうえで、やっと子育てがはじまり改めて親役割を担い家庭生活を営むことになる。


この場合には


子どものニーズを組み込んだ家族の生活を送るにあたって


それまでの

生活を「再構築」する部分が多く、


これまで担ってきた

家族内外の役割、培ってきた生活スタイルを柔軟に変化、調整していく力がより必要になると予測される。


子育てに伴う問題に対処する家族の力は、家族員、家族の発達の視点からも多様であるといえる。


少子化

超高齢化

晩婚化・晩産化が

同時に進む社会に生きる

育成期家族が抱える問題として




ダブルケアについても考えなくてはならない。


ダブルケアとは


子育て中の親が、同時に祖父母の世話や介護をする役割を担う状況になることである。


現在、未就学児の育児と介護を同時に行っている人は全国に25万人と推計され、その予備軍も相当数に及ぶとされており、こうしたダブルケアを担う人は今後増加していくことが予想されるのである。



これまでは、仕事と子育ての両立、あるいは仕事と介護の両立が問題とされてきたが、


超少子化と高齢化に伴って

子育て・介護・仕事の両立問題という、新たな形の「ケアの社会化問題」に直面していることが指摘されている。


また、

出産年齢が高くなるということは

子どもが思春期や大学生の段階で


親自身がなんらかの健康障害により

治療や介護が必要となる可能性も

以前より高くなると予想され


このような家族のなかの

健やかな成長発達への支援を


誰がどのように行うのか、

より一層意識していく必要がある。



すなわち

多様かつ複雑な問題を抱える育成期家族への地域におけるケアについて


多面的に考える仕掛けを工夫することが求められる。



しかし、

多様化するなかで

変わらないことがある。


どのように

社会が変化し

家族が多様化しても


子どもというものには

ある一定期間


周りの大人からの世話が

必要であることには変わりはない。


子どもには、それぞれの発達段階におけるニードに応じた世話が絶対的に必要であり、当然ながらそれは


大人の都合で後回しにすることはできない。


どんな子どもも

いつの時代の子どもも

誰の子どもであっても



世話や支援を受けることなしに

健康に成長発達を遂げることはできず


社会の中で生きてはいけない。



ゆえに

どんなに多様な家族であっても

どんなに多様な社会であっても



どんなに理不尽を

叫ばれようとも



子どもの健康な成長発達への支援は

必ず保証されなくてはならない。



家族が多様化するなかで

大人が未熟化するなかで


親やそれに代わる人々による

子どもへの適時適切な世話をどのように提供するのか


そのために家族の生活を

その多様性を包含したうえで

どのように支援するのか


それは


少ない子どもたちの前で

少しはまともでありたいと願い


大人として

主体的に自己を律することの必要性が

わかる程度には成熟できた

はずの私達が


挑戦していくべき課題なのであろう。




「家族」特集に寄せて、「家族」の自由をかんがえたいと考えた。



さて、こういうものを読んだことがあるだろうか? 


「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という一種の命令文だ。


これは、2012年の4月に、自民党が発表した「憲法改正草案」のなかにあるもので、離婚をふくむ婚姻における個人の自由を国家が擁護すべきであることを規定した現在の憲法24条にたいして、このくだりを付加すべしとして押し出した一文である。



ここにある思想を、僕は受け入れることができない。

理由は2つある。


ひとつは、「社会の自然かつ基礎的な単位」が「家族」である、としていることだ。


ここでいわれるところの「家族」が無定義であるという問題を措いたとしても、「社会の基礎的単位」として尊重されるべきは、家族よりもまず個人でなければならない。


そうでないならば、家族を形成しない個人や、家族のなかに行き場のない個人は、社会の基礎的単位を構成できず、


擁護されるべき存在の地位からはじきだされてしまうからだ。


もうひとつ納得できないのは、

「家族は、互いに助け合わなければならない」という言い草である。


助け合う家族がいることになにも異論はない。


しかし、


それを憲法の条文として書き込んで、あたかも国家が家族の各成員にたいして、相互助け合いを義務化するかのごとき解釈を許し得るところがいけない。


任意の個人が

ある家族の成員を助けない自由は

認められるばかりか、

擁護されなければならない。


僕たちがどんな自然家族のメンバーとして生まれ落ちるのかを、僕たち自身が選ぶことができない以上、


家族から離脱したり家族に敵対したりする個人の自由は、国家および社会が保障すべきであるというのが、近代法の基礎的な思想である。個人こそが基本のユニットなのである。


  

4歳のときに両親が離婚して、僕は4つ年上の姉とともに父に引き取られた。


母と暮らしていた家から父の家に行くと、そこには見知らぬおばさんがいて、そのおばさんは、いまにしておもえば父の内縁の妻であった。 


まだ小学校に上がるまえだったから、父とおばさんの関係にどういう想像力をはたらかせたのか、その覚えはない。


ただ、

父のことは「パパ」と呼んでいて、

そのおばさんのことは「おばちゃん」といい、


かつて一緒に住んでいた母のことが、たとえば姉との会話などでのぼってくるときは、母を「ママ」といっていた。


それがおかしいとまでは思っていなかったようにおもう。


「パパ」がいて「おばちゃん」がいて、いまでは顔を見ることのなくなった「ママ」がいる、というあたらしい現実を、ありのままに受け入れていた。


4歳の子どもに

ほかになにができただろうか。

小学校に上がって、友だちの家に行ったり、向こうが僕の家に来たりするような子どもなりの交友関係ができると、


よその家には「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」とかが一緒に住んでいることに少しおどろいた。


僕は祖父にも祖母にも会ったことがなかった。


もっとも父の父はすでに他界していたけれど、東京にいる父の兄が北海道に、妹が神戸にいて、神戸には父の母もいることはそのうち知った。


けれど、

「ママ」が育った家族のことはなにも知らなかった。


「おばちゃん」には水戸に家族がいるらしかったが、会ったことはなかった。



小学校の2年生か3年生のころだったとおもう。姉がまだ中学校に進むまえだったある元日、


「おばちゃん」に一緒に

おねがいをしよう、といってきた。



「おばちゃん」がお年玉をくれるときに、「おばちゃんではなく、おかあさんと呼ばせてください、というおねがいを一緒にしよう」と。


そして、「そのほうがいいよね、ね」と僕を覗き込み、僕がうなずくまで待っていた。


たいがいのことが

そうであったように

この件でも、僕は

姉のいいなりになるほかなかった。

僕たちふたりは、家のなかのいちばん広い部屋の畳に正座して、神妙な面持ちでお年玉を待っていた。


そして、

いつもよりはちょっといい着物を着て台所からやってきた「おばちゃん」が、僕たちにお年玉袋を手渡そうとしたときに、姉の合図にしたがって、


ふたりは声を合わせて、

「おねがいがあります。

きょうから

おかあさんと呼ばせてください」

といって、


「おばちゃん」のまえで

深々とお辞儀をした。


「おばちゃん」は、

すぐには返事をしなかった。


そうして、

少し困惑したような表情を浮かべたあとに、「いい子にすると約束するならいいよ」といった。


遠慮がちに声をかける存在だった「おばちゃん」が僕のなかから消えて、代わりに「おかあさん」の場所があたらしくできた。


いまでは顔も忘れてしまった「ママ」の場所は、それでも、なくなったわけではなかった。


「おかあさん」がいて、もうずっと会うこともないにちがいない「ママ」もいるという、あたらしい家族の構造が僕の中にはできた。


「ママ」と会ったのは大学生になったときだった。僕にとってはほとんどはじめて会ったのに等しい目の前の彼女を、僕はやっぱり「ママ」と呼んでいた。



いうまでもないとおもうが、あらゆる人権の根幹にある基本的人権はすべて、個人に付与されているものだ。団体単位での「基本的人権」はない。  


国家の形成主体も、もちろん家族ではなく、自由で平等な、いつでも異を唱えることのできる個人だ。

理想として思い描きがちな「両親がいて子どもがいて、祖父祖母もいる円満な家族」の像を不用意に称賛してはならない、と僕はおもう。


「パパ」と「おばちゃん」と「ママ」を経由して、「パパ」と「おかあさん」と「ママ」を持った僕は、


「家族」の「和」をどれほど乞い願ったことだろうか。


そして、どれほどそこから遠かったことだろうか。





昭和12年の「大学卒業したての法学士のおじさん」レベルに成熟した若者が、現今令和に存在する証


集合体は、世間一般の平均的な集まりではないんや。


学生のうちは、思うように感じたことをそのまま語りあったらいい。


今、仲間と過ごす時間が、

自分らを作っていくんやと思うから。



ただ、

大学から外に出て

世間が広がれば広がるほどに、

その感覚を共有でき共感しあえる人間の比率は、少なくなるかもしれないってことでもあるんや。



こんなふうに、

長男が回想した先輩の言は、


まるでコペル君の「おじさんのノート」のようだった。


以下

コペル君 おじさんのノート

まこ的改変バージョン

「先輩のノートである。



先輩のノート

長男君へ



自分のおかれたところで、自分と人を比較して引け目を感じているうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。


自分の人間としての値打ちに本当の自信をもっている人だったら、環境や境遇がどうあっても、落ち着いていられるはずなんだ。



だけど、


自分にはないものを持つ人が

たくさんいるという状況は

↑(昭和12年原文では 貧しい暮らしをしている人)


引け目を感じる場面が多いということでもある。


 

だから、自分自身にむかっては、それだけの心構えを持っていなければならないにしろ、


かといって、引け目を感じたり傷つきやすい人の心をかえりみないでいいとはいえないし、


「境遇に負けるな」と言う資格は、我々誰にもないのだよ。

 


少なくとも厳しい境遇に長い間実際に身をおいて、その辛さや苦しさを嘗め尽くした人が


そのうえでなお、自信を失わず、堂々と世の中をわたるようになれる、その日まではね。



自分よりも厳しい境遇にある人たちを見下げる心持ちなんか、今の君にはさらさらないことを、僕は知っている。


しかし、その心持ちを大人になっても持ち続けることが、どんなに大切なことであるか、君はまだわかっていない。


このことは、君が世の中のことを、正しく知るほどに、ますます大切になってくることなんだ。


なぜなら、世間には

僕たちよりも、ずっと厳しい境遇に生きている人がたくさんいて


それが、「社会の課題だから」なのだよ。