哺乳類のなかでも、

とくに未熟さをもったまま

生まれてくる人間



出産のあとには必ず

「子育て」という

イベントが待っていて


養育者からの多くの世話とともに

養育者との相互作用を通して


人や社会への信頼を獲得しながら

成長・発達をしていくことになる。




と文章にまとめてしまうと

平易に見えるが


この「子育て」ほど

難しいものはない。


という人もいるし


親と呼ばれることになった人々は

疲労と戸惑いの生活へと

誘われてしまうことが多い。


とも言われるようだ。




この時点で、

多くの家庭で

夫婦という共同体は、


親子の相互作用を蓄積し

親子という共同体へと変化しながら

「親」への変化を遂げていく。


しかし、


産んだら必ず親になるのか


産んだら必ず

親にならなければならないのか 


産めば親になれるのか




親になるとは

いかなることか



出産の事実がなければ

親にはなれないものなのか


広辞苑によれば

親とは


子どもを養育する人のことであり


性別が男性であるものを父親

女性であるものを母親


と呼ぶとされている。



この時点では

親の条件として出産経験の有無は規定されていない。



私達は、父親を含め

「出産を経験していない親」がたくさんいることを知っていて


今後その数は

増えていくことが予測されるのである。











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なぜ幸福度の記事で

シーソーの写真なのか?




「しあわせ」について考えてみる。

不幸な人は何かに執着しているからだと思います。執という字にも幸がありますが、元来「幸」という字は「手錠」の意味です。不自由でなければ自由を感じられないのと同様、



幸せもある程度の縛りがある小さなところでしか感じられないという  


解釈もありますが、

そもそも


「しあわせ」とは「幸」という字ではありませんでした。



年収とか恋愛とか結婚とか

そういうものだけに幸せがあると

固執するのではなく



「仕合わせ」るという視点



名詞ではなく「仕合わせるという動詞」の観点で見てみると、違った景色が見えるのではないでしょうか。







食うに困るほどの貧乏では幸福度もないと思いますが、金イコール幸福という直接因果と単純に結び付けられるものではありません。


金があっても幸せは感じられないが、金がなくても感じられるものが幸せだとしたら、しあわせとは一体なんでしょう?


ひとつヒントを言うと、


しあわせは見つけたり、探すものではない。


そもそも

「もの」でも「状態」でもない。


人からもらうものでもない。


しあわせとは各個人の内面から沸き起こる感情です。



そして、その感情を生み出すのは

行動です。


何も行動しなければ生み出されません。


つまり、

しあわせとは

動かないと感じない

ものなのです。




やめたれ!結婚出来ないのは年収が低いからだ!そう思いたいんだ!俺に原因があるため、結婚出来ない、モテない訳ではない!悪いのは国だ!世間だ!!そう思いたい人に現実を突きつけるなんて酷すぎると思うぞ!



気持ちはわかりますが、それもひとつの状態依存で危険です。


「自分が不幸なのは金を稼げないからだ」と理由付けするのは一時の心の安心を得られるかもしれませんが、


結局それは麻薬と一緒で、切れればまた何か自分ではない他者の責任を見つけようとします。  



それは際限なく広がり、やがて世界のすべてはおれの敵だという思考に勝手に落ちていきます。


また「金が稼げない」ことを理由にすべての行動をとめてしまうと、


無意識に「金を稼げない」という城壁を自分の中に作り出しています。 


それこそ杞憂でしかかないのですが、そういう状態に陥ると新たな不安に陥らないように


現在の状態のままを維持することが自分を守ることだという矛盾した生き方に終始します。


実はそれこそが「幸」という手錠や檻に自分を閉じ込め、自分で仕掛けた不自由さに自分で一生文句を言い続けるという地獄にハマるのです。


ツイッターなんかで見られますが、毎日毎日些細なことで、


自分の正しさや

主張ばかりに固執して


「仕合わせる」どころか「仕分ける」ばかりの人がいますが、それこそ不幸の権化みたいな行動です。


気に食わないものに文句を言う、誰かの粗探しをする、足を引っ張る。そんな行動からは不幸の芽しか湧いてこないのですよ。



誰も

自分のシーソーに乗ってくれない

からといって、


「なんで誰も乗らないんだ?無視か?差別か?許さんぞ!」


なんて大声張り上げていたら、余計に誰も寄り付かないでしょう。そういうことです。






 

子どもを産んで、


生活費を稼ぎ

食事をつくり洗濯をし

掃除をしていたら


子どもが大学生になり


学費を支払い

仕送りをしていたら


子どもが大人になっていた。