幻だけの恋ならば 
100回でもできる 
それならふたり
ここで暮らそう

100才になるまで





まずは

先月、5歳228ヶ月になった
長男が

自らの大学受験期と
弟の大学受験期に発したセリフを
ダイジェストしてみる。


自分のペースでやれることをやってついた力が実力。


実力で合格できる大学が自分の相応のところ。

いまの生活楽しまないで苦しんで必死で勉強して、なんとか受かった大学にいって、

それでまたその大学を必死で卒業して、就職してからも高みを目指して必死で努力するの?

俺は、そういう生き方する気はない。

責任逃れとか
できない言い訳をするためだけに
頭使う奴にはなりたくないし

勉強も努力もしない奴にも
なりたくないけど

努力ってべつに、苦しんだり、やりたいことを犠牲にするってことじゃないじゃん。


何回受けたって
その年のその受験は
1回や。

受験に慣れたら受かるって法則が
もしあったら、あったらやぞ。
多浪ってないやろ。

その大学に行きたいなら
備え万全にして
受けに行ったらえぇよ。 
 だけど、その大学
 第何志望?


婚活ヒストリーを聞くようになって
数年が経ち

長男が大学受験を終えた頃

その友人から、婚活界における長男の批評を聞くことになった。

もちろん、私が依頼したわけではない。 単なる話の流れである。


身長が数センチ足りないが
学歴を踏まえれば
勝ち組になれる。


そういう総評だった。



「実子を身勝手に
批評される不快さ」を
このときにあまり感じなかったのは

息子らが小学生だった頃
私と結婚したいと言い出した男性が


「長男くんとりくくん
だったら(子連れ再婚でも俺は)大丈夫」
と言ったときの不快さには
遠く及ばなかったからだと思う。


長い付き合いの
同性友人同士の他愛ないお喋りの延長にすぎないこの件をきっかけに

私は

友人である私の息子までが
批評の対象になり得ることに
彼女の婚活魂を感じ

子どもたちが
未来を担う

その意味をより深く
考えるようになった。



それから、まもなく
婚活界では

とにかく活動を続けること。

つまり、お見合いを繰り返すことが成婚への道だと言われているらしいことを知り、長男の名言婚活Versionに至った。


何回見合いしたって 
その時のその相手との見合いは1回や。

見合いを重ねれば  
結婚ができるって法則が
もしあったら、もしあったらやぞ。


婚活多浪って
ないやろ。




つまり、私は
「ひたすらお見合いを繰り返すこと」がなぜ推奨されるのか
 
理解できなかったということである。  


理解を阻むものに

私自身の婚活経験や結婚願望というレディネスの不足があることは然り

婚活用語としての
お相手、勝ち負け、条件、理想、話し合い、評価、査定、お茶代などの意味がいまいち理解し難かったということもある。




100回お見合いをしてまで
結婚したい人がいて

結婚するために
100回のお見合いをする人がいて

結婚したかったら
100回お見合いをするようにと
推奨する人がいる。


下手な鉄砲 数撃ちゃ当たる  
とはいうものの

流れ弾に当たる人は
どうするんだ??

と思ったこともあるが
数日前

 


何度もお見合いを重ね、そこで「学び」を積みかさね「成長」につなげること。。

 

これが不可欠。


婚活難民には必ず「瑕疵」がある。

「選ばれない理由」と言えば分かりやすいか。。。 

その存在に気付き、修正するには「お見合い」や「交際」を繰り返すしかないのだ。  


相手が自分に取る態度の原因の半分は自分にある。


結局、男女問わずいい歳して独身の婚歴のない人って「弱点」が多い。

すぐ諦める、思い込みが激しい、自分に甘い、礼儀をわきまえない、。。。 


そういうやつに限ってすぐにあきらめる。

営業、婚活、受験、スポーツ、。。。 


ちょっとやってみて結果が伴わないと

即座に諦めてしまう。



上述のブログを読んだあとに

偶然なのか





おすすめとして江頭氏が
あがってきた。


 
↑本題は

こう言った江頭氏の
次の動画である。

私は江頭氏に関するものを視聴したのが初めてだということもあって、このたび大変感銘を受けた。

すでに有名なものなのだろうとも思うけれど、是非にもご視聴いただきたい。








だって、おまえらが追いかけているものは夢なんだから

簡単に手に入らないから
夢なんです

打ち勝って掴むものが 
夢なんです


やりたくなかったら
やらなくていい

でもやりたかったら
諦めずにやってください

99人が馬鹿にしても
1人が応援してくれたら
それでいいじゃねぇか

それでももし
つらいこと 嫌なことがあったら
俺を見ろ そして笑え
悩むのがばかばかしくなるから








暮らしの連続や積み重ねが人生
なのではなくて

暮らしの中に人生があるのだと
と思うようになった。


「決めなくてもいいから
いっぱい話をしよう」

お見合いとは人生会議
人生会議はいつも暮らしの中にある。