日常の言葉たちを集めて記憶し
ものがたりを紡いでいこう。

事前指示とはどう違うのか。 
人生会議という対話のプロセス

※この本を読んだことはありません。







私は最近まで 
人生の中に日々の暮らしがあるものなのだと思っていたし、

日々の暮らしの連続だったり積み重ねのようなものが人生なのだろうとイメージしていた。


だけど最近

暮らしの中に人生があるのだと
思うようになった。



20代で妻になり母親になった私は
離婚を機に
夫のいない母親になり 

40代になり子どもの成人を機にして
子どものいない母親になった。





 
 


子どもを手放すように促した人

再婚をすすめる人たち 


ときには再婚を申し出てくれる

男性のうち一部の人が

口にした言葉


「やりなおす」



育ちゆく子どもとの時間をどうやって

やり直すというのだろう。。。



離婚とは、なにかをやり直さなければならないようなものなのか。


そんな本音を
心のうちに秘めながら
母親業大盛況だった20代後半に


友人の結婚式の案内状を受け取った。

返信する時
躊躇した。
「私が出てもいいんだろうか」


縁起が悪い

誰に言われたわけでもないが
なんとなくそう感じたので

新婦との共通の知人にあたる
親友に相談してみた。

「〇ちゃん、招待してくれたけど、
私、まだ離婚してから1年経ってないんだよね」



親友は言った。
「離婚してからの1年って
なんかあるの?喪中みたいなやつ」

「まこちゃんが縁起担ぎみたいに遠慮したとしてもさ、招待客の中に何人かは紛れ込んでいると思うよ。バツありの人なんて。」

結局、何食わぬ顔で
出席した。

この親友も友人も
幸せな家庭を築き続けている。


以下

影好法師様が、
教え子さんの結婚式に出席したときの記事である。



 

顔に傷を作って(前編⇒学塾発祥の地参照)参加した結婚式は、高層階の屋上テラスで夕刻から始まりました。
 
吹きっさらしですが、風はなく周囲はきれいなビルの夜景です。



顔の傷により

血痕が染みついた白いYシャツ


向かう先は

結婚式場


祝福の日の丸と称すには

やはり無理があったのだろう。



行きつけの「しまむら」で

新調したのだそうだ。




 

結婚披露宴のテーブルに配布されていたメッセージに曰く、
 
『大学受験を決意し、あの日先生と出会った時から私の人生の歯車は回り始めました』
 
う~む、これは家庭教師に対するコロシ文句ではないだろうか。な~んて、思わず口元が緩んでしまう私でした。


人生の歯車


「やり直す」

そこに違和感があった私の感覚の意味がわかった。


離婚を考えはじめたときには、


「かけちがったボタン」とか

「歯車が噛み合わない」とか


そういう表現に

違和感をもっていなかったと思う。


けれど

離婚を切り出した頃には


私自身は、ボタンやら歯車やらに

なんら違和感をもっていなかったのである。


結婚して子どもを産んで
育ちを待つ

その暮らしの中で
感じはじめた夫への違和感は

数年間の摩擦の中で
すでに私を「妻」ではなくしていたのだろう。


 
受付を46階ですませ、47階まで上がりテラスみたいな屋上に出ました。

周囲のビル群は眼下に沈み、鋭く屹立する独立岩峰を困難に満ちた登攀の末に到達した頂上のようです。

遠くに光り輝く塔は圧倒的な高さで君臨していました。


離婚前から妻ではなかった私には、すでに夫はいなかった。

離婚手続きを46階で済ませた私は
47階に上がった。

そこから見渡す風景は、昼も夜も
美しかったに違いない。