「友達とみんなで一緒に行けるから楽しみ」と言いながら高校の修学旅行の荷造りをしていたりくに

おばあちゃんが聞いた。


「グループにうまく入れていなかった子はいないの?」


「いないよ。
最初から

みんなのことを

みんなで考えながら決めるから

そういうことは起こりえないんだよ」



 

最後の共通テスト


おまえに負けたことは本当は 

 すごく悔しかった。

でも、


それだけおまえが

頑張ってきた成果だと思えたから

負けを認める


 そんな自分は

以前の自分に勝てたと思う。


ほんとに、ありがとう。 



 これを書いたのは



国内最高偏差値大学の最高学部を目指しながら、共通テスト当日にマーク段違いという恐るべし困難にあい、


それでも他大学の希望学部に現役合格を果たして邁進している凄井君(仮名)。 


 だから、りくにこう言った。 


「りくたちの学年は、はるばる遠い街から来ていた中に凄井君がいたからかなぁ。

凄井君を差し置いて威張ったり 人を萎縮させる振る舞いは誰もできないよね。」



「あの高校のあの学年で

 凄井がいちばん、謙虚だったからね。


 凄井のように、トップに位置づく人が謙虚だとそういうことは起こらないんだよ。」







当時高校3年生だった長男が言った。

「ゲーセンだろ。
あの高校から歩いて数分なんだから。 

ショウタとかも一緒だろ?
受験が終わったから、開放感に浸ってるんだよ。」

中学3年生が、高校受験の帰りにゲームセンター?

ショータくんと?
長男でもあるまいし…

心を落ち着かせようとしたとき
りくが、帰ってきた。

「大手高校受験塾で、ショータと一緒に自己採点をしていた。」 

ショータとは、
しょう君のことである。


受験当日の自己採点

長男も私も
知らなかった現実がそこにあった。


やはり、母親である私の目に映る

シュール的言動は


いつも


長男のものであって

次男りくのものではないのである。


田舎の公立小・中学校から
田舎のナンチャッテ進学高校へ

一緒に合格できたのは、
イケメンエース級しょう君だけだった。





田舎の小学校で

わりと成績がいいくらいで

全国模試で上位になったわけでもないのにも


関わらず


超マイペースな鈍感さと共に生きるりくのとらえどころのない生態は、何倍にも増して他者からなんらかのよくない解釈をされながら、いずれりく自身の瞳にもそう映るのではないかと。


りくにとって唯一の実質的親である私には、そういう懸念が生じていたというだけの話である。



そのさなかで、


りくは、きっぱりと

地元の公立中学校に行くと言った。


兄が卒業する予定の

保育園からの友人たちが入学する予定の


その中学に行くのだと一言言って

そこに迷いはなさそうだった。



りくは、念願叶い

地元公立田舎中学校に

華々しく無試験で入学した。 



そこは


名門
地元市立田舎中学校

のみならず


高校 そして大学までも

公立人生の途中にあるりくに  



私のパートナー男性が

話しかけた。


あくまでも

りくにとって彼は

かあさんの友達のひとりで



ときどき


作りすぎたおかずを

持ってきてくれる

揚げ物が上手なおじさんである。



「大学は、やっぱり楽しい?」


たのしいですよ。
















「この辺の友達とは、

やっぱり違うよね」


そうですねぇ。。。




「話しが合うよね。

やっぱり、大学の友達はね。




話が合うのは

地元の友達も同じです





中学生だったので。
張り切って…

1.5倍くらい
高く跳んでしまったので

跳び箱のはるか上を
翔び超えて
着地したんですけど。

 先生が言ったんです。
 「りくが、骨折した」って。

 だけど 

 「僕達と一緒だったら
旅行に行けるかもしれない」って。 

 先生がりくに

「荷物を預けたり
できないことを頼めるような
信頼できる友だちは誰?」 

って聞いたら

そのなかに、

僕の名前も
あげてくれたみたいで。
   




アートです。

アートな署名をする

左利き男子 


島田くんは今も

季節が移ろうたびに




「りくが帰ってきたら。。。」


何をするか、どこに行くか





地元連れ歩き計画を

地道に練りに練っている。