先日、旅の途中の長男が
彼女さんの要望に添い
冬山までお伴するのだと言った。


写真を頼んだら
送ってくれたので




お礼を言って




長男はどちらなのか
聞いてみたら



と、返信がきた。

強いていう




議論を経ながら 
自分の唱える規範の詳細について

じっくりと論理的に説明していき、多くの人になんとか納得してもらえるように主張を深めなければならない。

他人に対して倫理や正義を説くときには、理に適った議論を行う必要があるからである。


自分の属している立場にとってばかり都合が良くて他の立場の人のことを考慮しないような主張が納得してもらえることはない。



だが


多くの弱者男性論者たちは

「社会の構造は男性差別的であり、不利益や被害を受けているのは男性である」
という主張をぶつけ

フェミニストの主張に対するパロディや揶揄などの「からかい」を繰り返したりする論者もいる。







「男女同権」「男女平等」の意を都合よく勘違いした上で「女性は強いものだから」を言い訳にして

自分は弱者に甘んじる


弱者男性論では
「女性も男性と同じように
収入の低い相手と
結婚するべきだ」と
要求されることがあるのだ。




結果として起こっているのは
「底辺への競争」とでも
言うべき事態だ。












母子家庭で男子を育てるにあたり

男子には、父性が必要なのだということに
こだわっていた。


男女は同権
男女は平等


だからこそ、私はときどき
「男の子だから」と


息子たちに期待していたし、それに難なく応えていく彼らを頼もしく感じていた。

難なく?? 


それは、あくまでも

身も心も女性である私の一方的な感想であって

もしかすると私の知らないところでの難は、いろいろとあったのかもしれない。


「努力ってべつに、苦しむってことじゃないじゃん」

さらりとそう言う彼らの日常の努めのなかにあった「難」は、私からは見えないところにあった彼らの力によって

克服されてきた。

それは、とても自然に行われてきた克己なのかもしれないと

空の巣に住みはじめた私は
思うようになった。



サルの社会では、ボスの地位は力で勝ちとるものなんだって。


腕力のあるボスザルは、先に自分が餌をとって食べて、子どもやメスはその残りを食べるんだって。



あ〜、そんな話あったなぁ。


だけど、それはサル

限ったことではないと思うけどな。 


人間にだっておるやん。

そういうやつ。


息子たちへの父性を求めて

私が読んだ「ゴリラの本」の

男性著者は、当時


人類がサルの仲間から生まれたことは確かだが、いまいるサルたちが将来人類になるわけではない。人類の物語は進化の歴史上一回きりの出来事なのである。


と述べていたが



8年前

「ゴリラに励まされ、家族を作り父親になることができた」と記している。



そんな家族の歴史の中で

著者はさらに進化して


ゴリラの目で

人間社会を眺めることが

できるようになった


という。



座右の銘は

「ゴリラのような泰然自若」

であるのだそうだ。


泰然自若

落ち着いていてどんなことにも

慌てず騒がず動じないさま



いまいるサルたちが将来人類になるわけではないが


ゴリラの目で人間社会を眺めることができる人間にはなれる。





進化とは、とてつもなく

奥の深いものである。


参考 

父という余分なものーサルに探る文明の起源ー



ここは天国じゃないんだ     かと言って 地獄でもない




いい奴ばかりじゃないけど 

悪い奴ばかりでもない



TRAIN-TRAIN 走って行け

TRAIN-TRAIN どこまでも



世界中にさだめられた

どんな記念日なんかより


あなたが生きている今日は 

どんなにすばらしいだろう


世界中に建てられてる 

どんな記念碑なんかより


あなたが生きている今日は

どんなに意味があるだろう


見えない自由がほしくて

見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ


TRAIN-TRAIN 走って行け




土砂降りの痛みのなかを

 傘もささず走っていく


いやらしさも

汚ならしさも

むきだしにして

走ってく



聖者になんてなれないよ

だけど生きてる方がいい


だから僕は歌うんだよ 

精一杯でかい声で


見えない自由がほしくて

見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ