この社会がこれまで、

性的な被害を受けた人に

どれだけ冷たかったか。



強姦神話が性暴力のステレオタイプな被害者像として提示するのは、殴られて痣だらけとなった若い女性である。


しかし、必ずしも目に見える身体的損傷が残るとは限らない。



「これ、わかる」

犯人の首に何日も残るほどの噛み跡をつけた私は、僭越ながらそう思った。



 

性的な被害を受けることや声を上げた時の二次被害がどういうことかということが、まだ社会的に見えていないのも確かなの。

被害を訴えるとバッシングされる。

だから 誰も言わないし、実際に




 

どんな被害が起きているかも

当事者の痛みも

社会で共有されないままに。。。

「ある意味、そんなことを主張する女の顔が見てみたいという関心もあったんじゃないかしら」





当事者の痛みを

知っているか

 


↑ 

ふだんは明るい、この日も明るい

私の職場で起きた出来事である。



数年前、一人暮らしをはじめたばかりの19歳の女性宅に深夜、若い男が侵入するという事件があった。


その女性は、電話で


「鍵をかけていたはずの玄関から入ってきた。」


「だから、自分はパジャマのまま裸足で窓から逃げだして近くのコンビニから通報してもらった」と話し


「これから、親と警察が来るから待っている」と言って


それきり、私達の前に

姿を見せることはなかった。



同僚たちは


「鍵をかけ忘れていただけだと思う」

「物盗りだよ。二度と来ないって」

と言った。



結果的に、犯人は捕まらず

彼女は実家に戻ったままである。



「鍵をかけ忘れていただけ。

物盗りだよ。」

「大丈夫、大丈夫」


皆がそう言って明るく笑ったとき、私は訊いてみた。



「一人暮らしの部屋で深夜物音がして、目が覚めたら知らない人が室内にいたっていう経験をしたことはある?」



「一人暮らしの女性の部屋に、深夜に忍び込もうと思ったことはある?」



「鍵をかけ忘れていただけ。

物盗りだよ。」

「大丈夫、大丈夫」


みんなが、そう言った。


たしかに、そういう雰囲気は全体にあったと感じたし、そういう発言を否定する人は男女問わず誰もおらず



口火を切ったのは

年頃の娘さんのいる女性である。


このあと、数週間がたち

職場に戻れる状況ではないことがわかった。



当事者の父親によれば、警察官から「捕まらないと思う」と言われたそうだ。


彼女は遠方の実家に戻り、母親と同じ部屋で寝ることにした。が、それでも布団に入って横になることができなくなったそうだ。


母親のベッドの横で、座ったまま眠る。


彼女からの退職願いが郵送で届いたとき、同僚女性たちは言った。


「もしうちの娘がそこまでの状態になって退職するくらいだったら、私が仕事を休むなり、場合によっては退職してでも娘に寄り添う。」


「未来ある若い子が、退職するなんて。。。」




未来ある若い子は

なぜ、退職したのか。



それは、一人暮らしができなくなり

実家からでは通勤ができないから。


ということではないと私は思う。


退職願いを受理したのが 結局いつだったのか、思えば私もよくわかっていないけれども  


たぶん、彼女と彼女の親は

「社会復帰を急がない」ことを選んだのではないかという気がしている。


事件から数日後に、会社に電話をくれた父親が「この街に失望した」と言ったそうである。


駆けつけたはずの警察官は「捕まらないと思う」と言いながら、犯人の靴型や部屋の中の指紋をとって帰っていった。




犯人が立ち入った

アパートはもちろん


「捕まらない」という警察官が 

守るこの街にも


「鍵をかけ忘れただけ。犯人は二度と来ないから大丈夫」という、私達のところにも


もう戻らないのだろう。



私達が、この事件後に彼女と言葉をかわすことは愚か、顔を会わせることさえなかったのは


彼女と家族にとっては、私達が

失望を感じた社会の一員として

存在していたからであり


それは たしかに

失望に値するものだと思う。



 

そういうことを振り返ると

改めて、この若い男性はすごいと思う。



親子は他人

育児のしかたには

正解といえるものはない。


と言いながら


「どう育てたら、こんな子に?」

「どう育てたら、こんな人間に?」

「親の顔が、見てみたい」


そう思ったことは

ある。



一部の先輩たちから新人職員への、パワハラ疑惑が生じたことがある。


いつも近くにいるわけではない私達には何が起きていたのか、よくわからなかった。


伝え聞く内容は


待たされたまま放置されるとか

手もとめず、目も合わさずに必要な報告だけを聞いたら、返事もそこそこにいなくなるとか、そんな話だった。


暴言に属するものはあったのかもしれないが、暴力はない。


そういうウワサだった。


ある日、なにかのついでのように

彼が私に

その話をはじめた。


何もないといえば

何もないんです。


暴力はないけど

信頼関係とかもないんだろうし。


仕事中に

無視されたかどうかと言われれば

無視ではないかもしれないし。


ぼくは、平気なんですよ。

そういうこと、よくあったので。



彼は、階級制の格闘技でかなりの成績をのこしており、今もまだ続けているようだ。


そういう場ではよくあることなので

ぼくは平気なんですよ。


そう、彼が言ったとき

私はきっと

心の内を表情に出したのだと思う。


オオゴトにするような話ではないんだ。


すると、彼は言った。


あ、ダメなことですよ。

ぼくが平気なだけで。

人が人にしてはダメなことなんですよ。人として。



自分が平気かどうか。

自分が許せるかどうか。


強いとか弱いとか

大勢がとか少数がとか


年齢とか職歴とかスキルとか

普通とか一般的とか



彼の基準はそこではなくて

「人として」なのだと思い


私は、大変感心した。 


彼の親の顔だけでなく


昨日の記事のコペル君のおじさんのような長男の先輩のご尊顔も、ぜひ拝してみたいと思うし 


早いもので、2年以上も前にご紹介したこちらの先輩にも、いつか必ずお会いしてみたい。




 


 

たまったま 偶然

俺らの向かいに側に座った

知らん1回生の女子がな…


きょう、これしかないの?

       

                      って言うたん…


めちゃめちゃ凹んで

めちゃめちゃショックやったん


みんなでしょーんぼりして

ションボリ飲んでたら


先輩がきて

          どしたん?

                  て聞いたから


ホスピタリティー

                    の失敗や

                                        言うて


これしかない

         言われたんて     言うたらなぁ

               

              

                その先輩がな


そういう時はなぁ


なんでも

好きなもの

買うてこい言うて


3000円くらい

渡したれば

ええねん🤣🤣





『コペル君の

おじさんのノート』


君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。



世間には、悪い人ではないが弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。


人類の進歩と結びつかない

英雄的精神も空しいが、


英雄的な気魄を欠いた

善良さも 同じように

空しいことが

多いのだ。



君も、いまにきっと

思いあたることがあるだろう。