「天皇陛下というのは
日本のそれぞれの時代に、一人ずつしかいないからね」

育爺の応えに

不満そうに不思議そうに
りくは言った。

「ぼくだって
一人しかいないよ。」


先日、大学が春休みに入り

帰省したりくに聞いてみた。


「りくの誕生日は、大学はお休みなの?」


「いゃ、普通に行ってるよ。 普通に授業やってるからねぇ。」



平民だってことに、

気がついたんだ。





出版年2021年



自己肯定感という言葉を聞いたことがない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。


街の小さな書店でも「自己肯定感」という言葉がタイトルに入っている本がいくつも並んでいます。


そのほとんどが、自己肯定感が低いと認識して苦しんでいる人に対する処方箋であり、どうしたら高めることができるかといった主旨のものです。


自己肯定感が低いと

いかに生きづらいかを説き、


あなたも少し高めるだけで

そこから脱することができる。


そのノウ・ハウを

ぜひ試してみよう。


本人の問題としてではなく、子どもの問題として自己肯定感を扱う本も目立つようになりました。


自己肯定感の

高い子どもにするには

どうしたらよいか。





サムネイル

他人に相談するときに


具体的な答えを期待する人がいる。


「どうすればいいですか?」



フリーター、ニート、自分探し

少子化、心の傷、男と女、

生きがいの喪失等々 



それは、おかしい。


自分のことを決めるのは

自分なのだから


相談とは、根本的には

「考え方」についての疑問である。


はずなのだ。




子どもの問題に、


なにか「いい方法」を使って解決できないか


という発想にとらわれて

子どもと向き合う親は



子どもとの

共感的な関係を結ぶことが

困難である。 

 
サムネイル



自己肯定感を高めるには

「どうしたらよいか」

といったテーマを扱う

親や保育・教育専門家

向けの本です。



そのような本では、自己肯定感を高めることが大事だということが前提になっています。


そして、どうしたら自己肯定感を高めることができるかを説きます。


そうした前提を

当たり前のこととして

受け入れている人が多いから、

その手の本が


つぎつぎに

つくられているのでしょう。


でも


自己肯定感というのは


意識して高めないといけないようなものなのでしょうか。


自己肯定感が低いと

いい人生が送れないものでしょうか?


わたしは、違うと思っています。


いずれにしても、いまや(2021年)自己肯定感は、誰もが耳にする言葉になっていますが、十数年前にはそんな言葉を聞いたことがある人はほとんどいなかったのではないでしょうか。




初版2004年





初版1998年

【レビュー】
子どもの受け止め方を学びました。一番心に残ったのは、ありのままの自分でいいのだという自己肯定感です。
学校では勉強は教わっても、ありのままの自分でいいことなどは感じませんでした。問題と答えはいつもセットで用意されていて、それぞれ自分の思う答えを考える自由などあまりなかったように思えます。  
子どもをわかるために、「こうあるべき」を押し付けない等考え方が載っています。

これから親になる人、保育士になろうと思っている人などにお薦めです。


 
目次
自分らしく生きたい子どもたち 
今、大人たちに求められるものは

子どもの真実に出会うとき
安心の実感の中で
共に生活をするということ

子どものありのままを受け入れること
保育における受容・共感と指導
子ども理解をすすめるために











わたしは長年、自尊感情(自己肯定感とほぼ同じに使われる心理学用語)についての検討を行ってきましたが、2000年代前半に私たちがいくつかの学会で行ったシンポジウムでも、自己肯定感という言葉は使っていません。


それがいつのまにか


世間に広まり、そのためのノウ・ハウが保育者や教員向けに説かれるようになりました。


ある子どもの保護者は、小学校の入学式で校長先生が「子どもの自己肯定感をたかめることが大事」という話をするのを聞き、なんだろうと思って検索したら、育児サイトにも子どもの自己肯定感を高めるための言葉が溢れていたといいます。


別の子どもの保護者は、どうしたらいいかわからず書店に行くと、自己肯定感に関する本が列んでいたのでいくつか買ってきたということです。


子育て書や育児サイトを見ると、子どもの自己肯定感を高めることが大事だとして褒めることを推奨し、具体的な褒め方を取り上げる記事が目立ちます。


そのためか

多くの親や保育者、あるいは教師が


褒めれば

自己肯定感が高まるのだと

信じて


子どもをやたら褒めるようになった

わけです。


でも、


褒めればほんとうに

自己肯定感が高まるのでしょうか。


心を鍛えたり

社会性を叩き込むことは

自己肯定感を低下させてしまうのでしょうか?


1990年以降


褒める子育てや教育が日本に広まってから、なぜ


自己肯定感の低さに悩む人々が

目立つようになったのか。


そこには、

褒められることで無理やり高められた薄っぺらい自己肯定感の落とし穴があるように思えてなりません。





【あとがき】 

まず第1に、

「『自己肯定感は高くないといけない』

と思い込む必要はない」

ことに気づくことが大切です。



「欧米はすすんでいる」

「日本は遅れている」

「だから日本も」


といった思考パターンは、

冷静な判断力を奪い、欧米と日本の文化的背景を考慮することさえ忘れさせてしまいます。


第2に

「こうすれば高められる」


こうした自己暗示的なメッセージに振り回されているうちは、いつまでたっても高まっていかないことを強調してきました。


そんなものに惑わされてはいけません。

そうしたテクニックを推奨することの最もおかしな点は


「自己肯定を高めることが目的化」していることです。


すなわち、

身長を伸ばすために体重を増やす

といったようなことであろうか。



自己肯定感というのは

あくまで


日頃の生活実践のなかで

自然に高まっていくものであって


無理やり高めようとするような

ものではありません。


「褒めれば高まる」

その発想の誤りについての指摘を

くり返すことはしませんが


そのやり方が広まってからも

一向に高まっておらず


むしろ


その低さに悩む人が

増えているように思われます。


では

どうしたらよいのでしょうか。


自己肯定感のことなど

考えるのはやめて


目の前のことに

集中することです。



 


3年前の4月に書いた 

「りくくん、

一人暮らしを始めるの巻」である。



洗濯は毎日ではないし

掃除は

ワンルームのクイックルワイパー



まだ大学の授業も始まっていないので、そんなに負担でもないようだ




近所のスーパーには

置きチラシがあり


ティッシュは

安い日がもうわかっているので


その日に買い足す予定




これまでの数日間で


夕方に買い物に行き

半額の肉とモヤシをゲットしたと


自身の才に酔いしれて語る




独り暮らしは快適らしい

 唯一の悩みは


ガスコンロが一口しかないために

副菜と汁物の同時調理が

困難だということ





「やっぱ  自由だわ」というので




今までは   家で

自由じゃないこともあったの?


ときいたら




ハハハ  と軽く笑い




自由っつか


いままで  

人に気ぃ使って生活したことないから


言われてみれば


生まれてから

ずっと  自由だわ


と もう一度笑った




まれながらの自由




校舎の窓ガラスを割らなくても

バイクを盗まなくても



りくには自由がある




勉強ってなんのためにするの? 

                  自由になるためだよ



りくはこの対話を


    自問自答でできる新生児

        だったのかもしれない




さぁ、明日は


さらなる自由への出発の儀式

入学式だ



            リベラルに学べ





残される疑問


入学式で「自己肯定感を高める教育」について語った校長先生は、1990年代にすでに発行されていた高垣忠一郎氏の著作を読んでいたのか?いなかったのか??