新聞の読者投稿欄は

「ひなまつり」がテーマらしい。


私は弟と2人兄弟だ。

ひなまつりとは無縁だと思っていた小学生の頃、同じアパートにいた同年代の姉妹とよく遊んだ。


家でのままごとより外でのキャッチボールを好む、活発な2人だった。


ひなまつりの時期に、彼女たちの部屋を母と3人で訪れたことがあった。


ひな人形が飾られて、おてんばな2人も着物姿で髪にかんざしを差し、なかなか決まっていた。


母は「女の子は華やかでいいね」などと絶賛した。


自宅に戻ったとき、弟が母に「お母さんは、お兄ちゃんの下は女の子がほしかったんじゃないの」と聞いた。



母はすぐに「あんたの下の子ができても、ママは男の子がいいよ」と言って弟のほおをなでた。


時は過ぎ、私には娘も孫娘もいないので相変わらずひな祭りとは無縁だ。


でもこの母のおかげで、うらやましいとは思わない。


『ママは男の子がいいよ』

投稿者 63歳男性



3月3日は私の誕生日


小さい頃から母は、赤飯を炊いてくれていました。


ある年の誕生日のことです。


その日も赤飯が炊かれていたので何気なく「今日はなんで赤飯なの?」と口にしたら、母は「ひなまつりだから」と言うのです。 


 「えーっ、今日は俺の誕生日だよ」と言い返したら、母は「それもあるよ」とも言いました。


私は残念で悲しくなりました。


今思えば、母はからかっただけなのでしょう。


ただその母が妻に伝えてくれたおかげで、今は妻が毎年ひなまつりの日に、誕生祝いの赤飯を炊いてくれます。とても感謝しています。


『赤飯の理由』

投稿者 72歳男性


投稿者の年齢から推察すると

これは明らかに昭和時代の話であろう。







 



















 



その日長男は、共に参加した友人たちと浴場にむかった。


脱衣場で、すべて脱ぎすてたとき

あることに気がついた。


「バスタオル、部屋に忘れてきちゃった」



風呂道具を取りに行くために

再び着衣行動をとることに

矛盾を感じた彼は


そのまま、脱衣場を飛び出した。


廊下を走っていると

女子たちの声が近づいてきたので


柱の陰に身を寄せ

念のため後ろ向きに立ち


過ぎ去るのを待つ


その行為を何度か繰り返し


無事にバスタオルをつかみとり

浴場に戻ったのだそうだ。





 

 


全裸でしゃがみこんでいるみえ夫がいた。


兄の後を追いながら、小学校まで行ったみえ夫を、用務員のおじさんが連れて帰ってきてくれた。



「そんな小さな子どもは見ていない。」
「裸でどこから来たのだろう」
「学校の子どもにしては小さいなぁ」


サムネイル

昭和のおじさんの子ども理解とは、こういうものだったのだろうか。



  アンナ・カレーニナの法則


幸福な家庭の顔はお互い似かよっているが、 不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている。






「すべての成功した企業はそれぞれ異なるユニークな問題を解決したことで独占を実現している。一方、すべての失敗した企業は同じ土俵での競争から逃れられなかった点で似ている」


たとえば、今、成功するために必要な条件が、主なもので10あったとしよう。成功した場合にはそれらがすべて満たされている。結果としてその姿は似ている。


しかし、失敗するときには、10のうちどれが欠けているのかはそれぞれのケースで異なる。従って、失敗事例は一つひとつ異なる姿をしている。


「アンナ・カレーニナの法則」は、このように多数の要素によってその成功、失敗が左右されるような事象について、失敗の原因がたくさんありうることを示唆する。逆に言えば、失敗した場合、一体何が欠けているのか、反省するポイントはそこにある。



 


 

私自身は、やんちゃ坊主の典型と言われ怪我の多い長男と私は全く似ていないと思っていたけれど、そんな話をしたときに剣道の先生が驚いたように言った。


「そっくりだよ!」





「雨が降っても自分のせい」

 

~ 松下幸之助 (1894~1989)  ~

実業家・経営者 松下電器(現Panasonic)創業者



 

所詮は個人の資質の問題。


ブスだかバカだかババアだか知らないが自分に問題があるから〇〇できないだけの話。


他人や社会のせいにするの、やめような。