犯人が

通りすがりの見知らぬ人

だと思っていたのは私だけで


彼は私のことを

知っていると言った。


 




殺人と違って

すぐにやり直せるんだ。



弱い人間が

何度もやり直すことができる

それが性犯罪


絶対に覚えておいてね。




慰謝料を受け取らないということは

加害者は重罰になりますよ。



自宅に突然

イカツイ警察官がやってきて

息子が連行され有罪判決を受ける。

その親に心から同情しながら





思い出しなよ。

怖かっただろうに。

悔しかっただろ?


「掴めるんだよ。首は片手で」


優しさを、ふみにじったんだよ。


のさばらせておくのって

罪だからね。





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日本の伝統では、子どもは私たちの仲間の中で一番弱く、脆く、カゲロウのようにちょっとすると死んでしまう存在と捉えてきました。


例えば、「7歳までは神のうち」 

子どもは神様の領域に入っているということです。


一つには神様のように素晴らしいということがあるのですが、もう一つには


いつ神様の方に戻っていくかもしれないという、それぐらい脆く儚い存在として捉えられていたからです。


ですから

みんなで可愛がっていました。

だからたくさんの通過儀礼があります。


三日祝いとかお七夜とかお宮参りとかです。


西洋人にこの話をすると「えっ、そんなにあるのですか」と驚かれます。もちろん西洋にもあるでしょうけれども、日本ほどはないのです。


これはもう親の、あるいは大人たちの、子どもが成長する節目節目をどんなに喜んでいるかということの表れなのです。



優しさがなければ        生きていけない 


私がお母さんと赤ちゃんとの医療から学んだのは、「あたたかい心」というのがいかに人間の幸せにとって大切かということです。


そしてそれはいろいろなプロセスがありますけれども、小さい時、子どもの時に育まれるということです。


優しさというのは、

親切とか、思いやりとかを超えたもうちょっと根源的なものです。


一般的な優しさという言葉で言うと


レイモンド・チャンドラーのベストセラーになった探偵小説で、モローという主人公が言う


「人は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」


という台詞があります。


なんだか歯の浮くような女性を口説くような言葉ですよね。

これは、正確には正しくないと思います。


ドイツのフリードリッヒ大王という人が行った、今では考えられないような実験があります。


300年前のヨーロッパの大都市では、産まれた子どもの3分の2以上が捨て子であったと言われていますが、捨て子を乳児院に集めて、子どもが言葉を覚える過程についての実験を行いました。


恐ろしいことに

捨て子を2つのグループに分けて


それで両方とも

あたたかい家で、あたたかい布団があって、あたたかい食べ物があって


でも片方のグループの子どもを見る保護者たちには、言葉をかけてはいけないと命令したのです。


赤ちゃんに言葉をかけないでいるということは心を鬼にしないといけないくらい不自然なことだったでしょう。


だから人間ではなく、もののように扱ったに違いありません。


もののように扱われた子ども達は

3歳までに当然言葉を習得しておらず


さらには全員

死んでしまったのです


ただ言葉をかけないだけでした。


それは、あたたかい心を与えなかったということでしょう。


赤ちゃんはあたたかい家があっても、あたたかい布団があっても、あたたかい食べ物があっても、


あたたかい心を与えないと生きられないのです。


ですから

「優しくなければ生きる資格がない」どころか「優しさがなければ生きていけない」のです。


それぐらい人間にとってあたたかい心というのは大切なのです。特に小さい頃は。




 


  優情


優情という言葉は堀田善衛の造語であるが、べたべたした優しさではなく、人間に対する厳しさに起源するものであり、有情と友情とを合わせた言葉である。


有情はうじょうともよばれ、生きとし生けるものがもつ「心のありよう」を意味する言葉であるところから


相手に対してやさしさの心をもっているという意味である。

 

人は本来

相手を思うやさしさの心である

有情をもっているが


その有情を育むためには、友情に裏打ちされたルールを身に着けなければ、本当のやさしさを生かすことにならない。



まさに

躾を身に着けたやさしさ

こそが


大江健三郎のいう

「優情」の意味

なのである。



子どもは皆、生まれつき共に生きるための「あたたかい心」をもっている。


しかし、残念ながら成長発達の過程で周囲からの諸々の影響を受けて  


その「あたたかい心」を失い

俗人の心に変わり


さらに


人類最大の知恵である「共に生きるあたたかい心」も、次第に色褪せていく。


このようなことを知れば知るほど 



に近い

子どもの心と能力に

畏敬の念をもつことが

子育てのなかで

もっとも大切なことに思える。



子どもは宝であり未来


慈しみ育てる行為は、人の営みの中でもっとも大切かつ崇高なものであることを考えれば、子育ての重要性が自然に浮かび上がってくるであろう。


仁志田博司

 


手塚「子供が成長する環境についてお聞かせください」


仁志田「植物でも最初はか細い芽が出てます。それを踏みつけたり、水が足りなければ枯れてしまうか、ひょろひょろの木になってしまいます。大木になればそう簡単に倒れませんが。それと同じようにすべて出だしが大切なことは当然ですが、特に脳は遺伝子でこのように発達するとは決まっていません。それは周りの環境や刺激によって発達するのです


手塚「それはいくつぐらいまでが影響されやすいのですか?」


仁志田「皆さんそれが一番聞きたいことだと思うのですが、今研究中なんで具体的には言えませんが、昔から“三つ子の魂百まで”と言われています。3歳頃までが重要ですね」


手塚「生まれたての赤ちゃんでもストレスを感じるのですか?」


仁志田「そうです。私は新生児医療を33年やってて、今のご質問に対して、つい最近になって反省しています。私たちは赤ちゃんの命を助けるために箱に入れて、光を当てて、沢山のモニターのチューブをつけて、治療しています。

それで命を守ったと喜んでいたんです。


でも赤ちゃんにしなければいけないことをしていなかったと気づいたんです。それは赤ちゃんの一番大切な心の中枢である脳に注意を払わなかったということです


あんな箱の中に入れられて3ヶ月間痛めつけられて優しくなるはずがありません。


ですからその反省に立って、もちろん命は助ける、そして赤ちゃんに出来る限りの優しさを提供して心を育むということをやっています」


手塚「具体的にどういう影響が出るのですか?」


仁志田「前頭前野(ここは動物が生きていく上では重要ではないのですが)が一番発達しているのは人間です。それが何かと言うと“心”なんです。


前頭前野がきちんとある人は

襲われた時


“どうしてあの人は僕のことを襲ってくるのだろう”ということを考えながら、どうやってそれに対抗しようかとか、“僕の方が強いからやっつけてしまうと。。。あの人には子どもや奥さんはいるのかな”というようなことを考えます。


近年、痛みや苦しみなどのストレスが与えられるとその部分の細胞が減っていくことが分かって来ました。


つまり

いつもいじめられている人は

そんなことは考えないということです。


いじめられた瞬間にどう反応するかと言うと、逃げるか戦うかのどちらかなんです。


一瞬の間に戦うか逃げるか(Fight or Flight)を判断する。

Fightだとカッとして相手を刺してしまう。Flightだと逃げて落ち込んでしまう。


それが子供の時に育まれなかった結果なんです」


和光大学総合文化研究所年報

『東西南北』2011




新渡戸は、武士の情けについて男性的で高潔な厳しい正義のことであり、婦人の仁とは一線を画すものとしながら


「最も勇気のあるものは、もっとも心優しいものであり、愛あるものは勇敢である。」ことを論じ


それを普遍の真理と説いている。