そんなこと言ってもね、慰謝料を受け取らないということは、加害者は重罰になりますよ。



初犯だし、執行猶予はつくと聞いておりますが。



そうとは限りませんよ。


謝罪を受け入れてもらえたかどうかというのは、争点になりうる。


告訴を取り下げろと言っているわけではないんですよ!




お金は受け取れませんが、彼の今後の人生を否定したいわけではないので、その旨手紙を書きましょうか?



そんな事をしたからと言って、どれだけの意味があるかはわかりませんけどね。




 

記憶をたどってみたものの


慰謝料を受け取らなかったことが  

判決に影響したのかしなかったのか


私の自己満足をしたためた手紙が、

どう意味付けされたのか、されなかったのか


全くわからない。




裁判の結果、懲役が何年だったのか

思い出すことはできないが


執行猶予が3年ついたことだけは、覚えている。




安堵したからである。

というのと同時に同情と少しの罪悪感があった。


車に乗り込み、馬乗りになり

首に噛みつかれて、

執行猶予付きとはいえ懲役刑


少なくても逮捕後 警察署では、

弱々しく見えた同年代の被告


自宅に突然イカツイ警察官がやってきて、息子が連行され有罪判決を受ける。


その親に心から同情しながら


いたずらが過ぎた子どもをみるような気持ちもあり


また


職場で公然と行われる

幼稚な男性からの面倒な誘いとか


誘いを増長させるような

周囲の言動とか



当時の私のそういう苛立ちとか悲嘆や傷心のようなストレスを、すべて彼に引き受けさせたような心地の悪さがあったのである。


最近は、執拗な誘いはハラスメントに該当するということで「職場恋愛ができない」「面倒だからしない」という若い人たちの声があるらしいと、SNSからは聞こえてくる。


ということは、たしかに


「ハラスメント」という概念に該当するような不快で迷惑な誘いと、年齢相応の恋愛の機微の区別がつかない人が、


異性への誘いを抑制できているということだから、なんらかの格差だとか恋愛や結婚離れの背景として一部で認識されていたにしろ、その啓蒙は意義の高いものなのだと思う。


四半世紀が経っても

「強制わいせつ」という犯罪と、「好きでもない人から執拗に誘われる」ことへの嫌悪を並列することに違和はありながら



私の件に関しては、


犯人が※マジックを披露する隙を警察や検察側が与えてしまったり、犯人にマジックを伝達する弁護士を早期に手配されていたら


ストーカー規制法もなかったあの時代に、起訴や裁判はなされなかったのかもしれないと思う。




あの日、私は隣町に住んでいた友人とのランチの後自宅に向かう峠の途中にいた。


道路脇に

その男性は立ち


私の車を誘導する仕草を続けた。



この先で事故?

それともなにか、困り事が??


昼間だったから、ということもあり

警戒することなく誘導に従ったように思うけれど


真冬でもない昼間の峠だからこそ、たとえ、本当になんらかのトラブルだったとしても


当時すでに携帯電話も

普及していたわけで、



私が車を停めなければならない理由はなにもなかったということに、刑事さんたちと話をしていて気がついた。




ともかく、その男性はなんなく私を脱着場まで誘導することに成功し


そこで、まんまと窓をあけた私に


「レンチを貸してほしい」

「タイヤが…」


と言ったので、私はなんの疑いもなく車を降りて、自分の車のトランクを開けそれを手渡してから



運転席に戻り作業が終わるのを待った。


返してくれたレンチを

トランクに戻す間


「これからドライブしない?」とか

「ご飯食べにいかない?」とか

そんなような話をされたが



断って運転席に戻りドアを閉めようとしたら、彼はドアと私の間に立ちはだかり、誘いを繰り返した。


「このひとは、普通の人ではない」とやっと気がついた時には


すでに遅く

そのまま乗り込んできた。



彼が、「男性の割には華奢な体格」

であることに私が気がついたのは


事件当日ではなく

捜査段階での現場検証をしていたときだった。



私が乗っている運転席に

男性が乗り込む。



私役と犯人役の刑事さんが2人


その場面を再現することが

どうやっても不可能だったからである。




「おまえがデブだからじゃねぇ?」

「おまえがデカすぎんじゃねぇ?」

と言い合う中年デカたちは


「まこちゃんが小柄な女性であることを差し引いても、犯人はかなり華奢な男」


このときに、そういう話になった。



刑事さんたちは

私のことをいつからか

「まこちゃん」と呼んでいた。




実際の犯人は、


身長は160センチ代後半

体重は50キロ代前半

といったところだと思う。

 




彼は、私の友人がいる町に住んでいた。


友人によると、彼が逮捕されたことは数日で広まったらしいが、


刑事さんが言っていた通り

執行猶予判決のあと、通常の生活に戻ったようだ。



それからしばらくたち、これもまた

刑事さんが言っていたとおり



中学生の下校時間を狙うように彷徨っていると聞いた。


「小柄でも弱そうでも

成人女性への犯行はリスキー」 

そう、学習したのだろうか。


私は署に出向き「なにか気がついたらすぐ教えてね」と言っていた刑事さんに伝えた。


「ふぅ~ん」「ほぉ」その刑事さんはそう言って、周囲の刑事さんがちらりとこちらに反応しながらも、すぐにその話は終わったので、その後どうなったのかはわからない。



性犯罪者は繰り返す。

逮捕、拘留、裁判、有罪判決

その程度のことは、犯罪抑止に貢献はしないらしい。


その思考と行動には「依存」ともいえるような習慣性や計画性が備わっているのだろうか。






そう考えると


信じられないくらいの労力だとは思ったけれど、それが思考と行動と習慣というものだとすれば


私の車をみて「一人暮らしの女性のもの」であることを推定して、その行動パターンを把握した上で待ち伏せすることは、


その気になれば

気が弱かろうと頭が良くなかろうと

できることなのだと腑に落ちる。



 



 

性犯罪者は、被害者の心情や自分のしたことが相手にどのような深刻な影響を与えるかということへの想像力が貧困です。


自分が性被害に遭うことを想像するのは難しいのかもしれないけれど、それにしても想像すること自体を自分の中でストップさせているかのようです。


それは恐らく、理解しようとすることを無意識のうちに止めているのだと思います。


彼らに、「あなたの大切な人が同じような被害に遭ったらどう思いますか」と聞くと「相手の男を殺しに行きます」と答えることがあります。でもそこで止まってしまうんですよ。


「ということは、自分も殺されてもおかしくないことをした」というところまで想像が及ばない。


――気付きたくない防御が働くのでしょうか?


恐らくそうでしょう。殺されてもおかしくないことをした事実は認めたくないので、指摘しても話を巧妙にずらしていきます。


世間一般にもよく性加害や被害を軽く表現する人がいますが、そういう人もどこかで想像力を働かせたり理解したりすることを止めようとしているのではないかと思います。




――私は自分にももちろん加害性はあると思っているのですが、斉藤さんは自分の中にも加害性はあると思いますか。


ありますね。加害性を自覚していないと、加害行為をしている人と向き合う作業はバランスが取れなくなります。


彼らはよく“マジック”を使うんですよ。


自分の責任を軽くしようとしたり、相手が悪かったからやったとか責任転嫁したり、そういう話を巧妙に作り上げる。



私も男性なので、知らないうちにその巧妙に仕組まれたストーリーに近寄っていく自分がいることに気付きます。



定期的に被害者支援の方々にお会いしたり、被害者の方の話を聞いたりして自分の中にあるバランス感覚を見直していかないと天秤が崩れてしまいます。


それが加害者臨床の中で最も難しいバランス感覚です。



――なるほど。


私自身も、他の人を虐げることで自分が安全な場所に行けるならそうしてしまいたいとか、弱いものをいじめることで自分自身の安心を得たいという欲求は明確にあります。


それは加害者と同じ気持ちなので、それが自分の中に確かに存在すると言葉にしていかないと知らないうちに取り込まれてしまう怖さがあります。  



でも加害性を否定したい人もいるでしょうし、気付いていない、気付きたくない人ももちろんいる。


認めること自体が非常にしんどいことなので、だから反発や抵抗があるのかなと思います。


犯罪白書で上がっている数でしか世間は見ない。


どれだけの人が被害届を出しておらず、示談で不起訴になっているか。



性犯罪の場合、暗数が大多数をしめている以上、あの数字はまったくあてにならないと考えています。



――先日、警察や医療関係者向けの性犯罪に関する講演を聞きました。その中で海外での研修ビデオが流れたのですが、まず「被害者はウソをついているのではありません」と説明が入ったのが印象的でした。


被害者はPTSDによって記憶が混乱したり部分的に記憶を失ったりしてしまうこともあります。時系列で話せないこともある。


それを

取り調べる人が

「本当か?」と疑ってしまう。




被害者が被害内容を

うまく話せないこともある


一方で加害者が


“マジック”を使って

自分の正当性を

第三者に信じ込ませるのは

怖いことだなと思います。



現在信じられている、性犯罪の被害者像もとても偏っていると思います。未だに派手な化粧をしていた、露出の多い服を着ていたとか、過去に水商売をしていたとか思っている人もいますが、



加害者は

「大人しそうで被害を訴えなさそうな人」

を選びます。


そこにある社会の認識も変えていかないといけません。


「自分より下にいるはず」の女性が自分の存在を脅かすことについて男性は恐怖を感じています。


彼らはくり返す加害行為で何を守ろうとしているのか。


その本質的な問題に気付き、見て見ぬふりをせず、見たくないものから目を背けないという覚悟が加害者臨床で大事な部分だと思っています。




ものすごく気が弱くて

結構頭が悪い



多くの犯罪者と対峙してきた

刑事さんの見立ては、合っているのだと思う。








ボタンひとつ外れていない被害者と

首に傷のある加害者


強姦未遂の立件は難しいんだよ。

強制わいせつで立件するよ。



「強姦ではないだろうけど、

強制わいせつにはなるんだ?!」

「合法的に似たようなことしてる奴、

いっぱいいるよ」

と思った若き日の私



四半世紀で人は変わる



思い出しなよ。

怖かっただろうに。


悔しかっただろ?

狭い車内で、男が馬乗りになったら

なにもできなかったよね。



 

言えばよかったのに

ヤツの首には、まだ傷が残っていたよ



犯人が

通りすがりの見知らぬ人

だと思っていたのは私だけで


彼は私のことを

知っていると言った。


 

通り魔的な性犯罪は捕まりにくいが

顔見知りの性犯罪は立件しにくい



今の私であれば堂々と

「犯人は首に歯型のある男だ!」と捜査を求め


「なぜ噛みついた?」と聞かれたら

たとえ腹がたったから悪意をもって仕返しをしたのだとしても 「証拠をのこすためだ!」とシレッと言う。



傷害を主張されても

「大の男が首の傷くらいのことでガタガタ言うな」と言うし




知り合いだと言われても

「計画性のあるストーキングだよね。より悪質だよ。」と


なんの躊躇もなく即答する。



勇気は義のため

一命を投げ出し死の淵に臨むようなことは、しばしば勇気と同一視されるが


死に値しないもののために死ぬことは「犬死」と言われ、猪突猛進の行為にすぎない。




強制わいせつに強い弁護士

〇〇法律事務所 

早期に(特に起訴される前に)強制わいせつで弁護士に依頼するメリットは、不起訴処分を獲得できる可能性が高くなるという点です。


強制わいせつで不起訴処分を獲得するには、被害者と示談交渉を行って示談を成立させることが大切です。


逮捕前というのは「いつ逮捕されるのだろう」、「明日、警察が自宅にやってきて逮捕されるかもしれない」などという不安を抱えながら日々を過ごさなければなりません。





そうした状況の中で、弁護士に今後の方針についてアドバイスをもらい、場合によってはその段階から私選弁護人についてもらうことで、不安が解消するかもしれません。


私選弁護人についてもらうか否かを判断するにあたっては、相性が合うかを確かめることが大切です。





法律相談の機会を利用して、あなたの不安を親身になって聞いてくれ、信頼できると思える弁護士に依頼しましょう。






弁護士事務所に寄せられた

【お母さま方からのお喜びの声】


◯被害者との示談が成立し会社から解雇されずに済みました。


◯この度は本当にありがとうございました。先生には逮捕される前から相談に乗って頂き、刑事事件になる可能性があるという現実を受け入れられなかった私に対し、弁護士としての率直な意見を言って下さり、最適な行動を取れるようアドバイスしていただきました。結果的に逮捕され20日間勾留されてしまったのですが、先生の的確な判断と行動により、被害者の方とは示談が成立し、解雇されるであろうと思っていた会社にも残る事が出来ました。

このような結果になったのは、逮捕後も会社と頻繁に連絡をとってくださり、何度も面会に足を運んで下さった先生のおかげです。本当にありがとうございました。





◯親身になってくれました。

安心して任せられます。